2016年2月安倍政権に見る「法の支配」と「人の支配」

 今月6日東京都市大学市民講座受講者研究会で、わたくしが「憲法を考える」と題して発表。その後に行った自由討議の質疑応答の中で、わたくしが答えた部分に若干加筆して本文をまとめた。

 憲法と法の大きな違いはなんだろう。主権者国民は、自ら制定した憲法によって国家権力を支配する「人の支配」がはたらく。主権者国民は、国家権力が定めた憲法の枠内の法によって支配され「法の支配」がはたらく。この両者は、つり合いが取れた関係になるとよい統治が行われる。現在の安倍政権の場合、この二つの関係はどうなっているのだろうか。

 「法の支配」
 ギリシャの哲学者ソクラテツは「悪法もまた法」といって毒盃を仰いだ。これはなにを意味するか。「一旦人がつくった法に人が従うという原則を崩すと、社会の秩序が乱れ壊れる」。このことを自らの死をもって社会に見せしめた。この崇高な行為が千古不易に語りつがれ「法の支配」の手本となった。

 「大人が決めた決まり(この場合、憲法)を守らない大人」が現実に起こると、社会のモラルが低下する。「大人が守らないなら、自分たちだって守る必要はない」と子どもは嘯く。大人は子どもに対し、道徳教育を垂れることは出来なくなる。子どもの教育上にも極めて良くない。これって常識の話ではないだろうか。

 「人の支配」
 昨年政府与党の国会多数派が、憲法9条の枠組みを超えた安保法制を両院で成立させた。これは政治権力が暴走した石川健治東大教授が法的クーデターと喝破し有名になった。権力が暴走しないように、憲法によって縛るべきだとする立憲主義は近代国家の根本原則である。もはや現在の日本の政治は「法の支配」ではなく、現実に「人の支配」、半ば安倍制管による独裁政治がまかり通る事態になっている。


 朝日新聞2016.2.5一面で「首相、9条争点化に言及」衆院予算委2016.2.4 参院選へ改憲意欲と大見出しがでた。

 憲法改正について「参院選でも訴えていきたい。2/3の多数を形成しなければ憲法改正には至らない」と語った。夏の参院選では改憲も争点に掲げ、発議に必要な2/3の議席確保を目指す考えを鮮明にしたものだ。また、3日に続き4日に審議でも、戦力不保持、交戦権否認を定めた憲法9条2項を改正する必要性に言及した。

 昨年と今年、安倍政権は次の過ちと歴史認識不足を露呈している。

 第1違憲安保法制に合わせるために、憲法9条2項を的にした憲法改正をしたいという過ち。
 理由 法律は憲法の制約の枠内で立法されなければならない、という立憲主義の原則に違反した違憲安保法制を昨年9月に成立させた。この法制を運用させるために障害とする9条2項を的にして改憲しようするのは、順序が真逆であり、法律に憲法を合わせようとする倒錯した企てである。

 第2 「国家権力を縛るものだという考え方があるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」2014.2.3 予算委員会での生活の党・畑浩治氏に対する安倍首相答弁は、立憲主義成立の歴史認識不足を露呈している。
 理由 絶対王政に時代に憲法はまだつくられていない。西欧諸国では、絶対王政は15~18世紀まで幅があり、各国によってそれぞれの事情で異なった発展をしている。したがって、絶対王政が終わった時点は各国によりそれぞれ幅があった。

 憲法は絶対王政の権力濫用や腐敗に、市民らが抵抗して立ち上がり市民革命を起こして絶対王政の権力を打倒した。その結果市民らは人権を守るために憲法や権利章典がつくられた、これが歴史的な順序である。

 さらに防衛大臣が衆院特別委員会答弁で「法に憲法をどう合わせるか」を国会で口走ったことがあった。これらは、昨年、今年と98条、第99条を二重に蹂躙し、憲法が最高法規であることすら認識しない憲法を冒涜する行為だった。

 現在、安倍政権は国会多数派による異常な半独裁政権となっている。現政権は「法の支配」にたびたび言及するが、これを踏みにじっているのは自らである。


 安倍政権のジレンマ
 また昨年事前に国会と国民に説明する前に、アメリカと安保法制の事前協議を行うという国会と国民に対する背信行為を行った。どうしてそんなに改憲を急ぐのか、そこが大いに疑問だ。「9条第2項の戦力不保持、交戦権否認を変えて、第二警察である自衛隊を軍隊に昇格させないと安保法制は運用できない」が安倍政権の最大のジレンマになっている。これを解消するために、順序が逆になったが後から憲法改正したいというのが本音だろう。

 これまで自民党側改憲論者で鳴らした憲法学者小林 節慶大名誉教授が専守防衛はいい、集団的自衛権は駄目という。その小林 節さんが、今昨年成立した違憲安保法制を廃案にしようと先頭に立っている。これはなにを意味するか。今の政府与党は、安保法制で憲法違反を犯し、大義が失われている。

 安保法制廃案で一致する勢力が合同して統一候補を擁立して選挙で戦い、現政権を退陣させる。選挙に勝った暁には新政権が政策協定して国民に信を問えば、やがて本来の憲法改正も視野に入ってくるのではないかと言っている。

 憲法改正について、憲法学者の中には9条第1項の自衛権を巡って様々な意見に分かれている。しかし「集団的自衛権行使」を可能とした安保法制は違憲である、との点では大多数の憲法学者が一致している。弁護士会、野党勢力、それに今まで声を上げたことが無かったシールズの若者、ママの会、民主団体が声を上げている。

 違憲の安保法制を成立させた無法な現政権には憲法改正をする資格はないし、ましてや国民の命に直結する平和憲法の改正を任せる訳にはゆかない。

 国民が法律に違反すれば、「法」により国民が国家権力から罰せられる。国家権力が憲法に違反した場合、選挙により国民が権力を退陣させる、という手段しかない。


 憲法9条と安全保障についてのわたくしの考え
①基本的には「憲法を絶対変えてはいけない」とは思っていない。

②憲法施行後70年を経過して、最近環境問題やプライバシー問題が起きている。

③憲法を万一変える場合、96条の両院総議員2/3以上、国民投票の過半数という硬性憲法のハードルがある。これは変えていけない。
(自民党改正草案では1/2のハードルに下げている)

④自民党改憲草案は問題が多すぎる。

⑤自民党9条解釈「1972年集団的自衛権と憲法に関する政府見解」、日米安保に基ずく日本海周辺までの専守防衛の個別的自衛権で十分だ。

集団的自衛権行使(同盟国の他国攻撃に参加)は、他国応援となると軍事費が増加、軍隊で殺し、殺されることが起きるから、今回の安保法制は廃案にすべきだ。

⑥これまでアメリカ主導でやってきた武力による国際秩序という数々の戦争は、ことごとく失敗に終わり、国際平和はむしろ後退しているのが事実だ。

アメリカはこれまで軍拡して軍事大国でやってきたが、財政悪化、GDP低下、治安低下している。アメリカの本音は、これ以上金も人も出せないので、日本に肩代わりさせたいということが本音だと思う。

⑦アメリカの武力による国際秩序は、これまで悉く失敗した。日本は平和憲法を押し立て平和外交によって国際平和に貢献する道がある。海外派遣について、これまで武力を使わないインフラ・教育などの国際貢献をやってきた。それが信用されて自衛隊は標的とされなかった。アメリカについていって、イギリスのような第二軍となる必要はない。

⑧今のままの専守防衛に徹する方が、むしろ安倍首相のよくいう「国民を守る」国益に最も適っている。