2016年1月あれは安倍政権によるクーデターだった

 今年の安保法制をめぐる一連の事件を一言でいい表す発言として、石川健治東大教授の「あれは安倍政権によるクーデターだった」が挙げられる。教授は、今年の安保法制可決の衆院本会議2015.7.16成立、参院本会議強行可決2015.9.19よりも、昨年の集団的自衛権の安保法制に道を開いた閣議決定が、正に「違憲クーデター」だったとしている。

 憲法9条が謳っている戦争放棄の平和主義、交戦権を認めない、一切の戦力を持たないの条項と、他国の戦争に参加を可能とする他衛の集団的自衛権は断絶している。これを多くの憲法学者達は「法的安定性を壊した」、「法の破砕」として糾弾している。

 国民主権、人権尊重、平和主義の三大原理の一角である9条の日本国憲法の平和主義を壊してよい理由にならない。どうしてもと言うのならば、反革命ともいうべき9条の憲法改正をするのが手順だろう。

 国民の大多数は、憲法9条の改正を望んでいない。その一方安倍政権側は、緊急な国際情勢の変化などと幾つかの必要性を述べたて、国民の生命と財産を守るために必要なんだという。

 望まないものを押し付ける。また外遊日程を口実に、憲法53条が認めている臨時国会開催の野党要求にも耳を貸さない。これ等はことごとく立憲主義の原則に外れている、わたくし達の眼前にいるのは憲法を顧みない専制主義、独裁政権である。

 この政権には一刻も早く退場してもらわなければならない。現在、若者を先頭に学者、弁護士、ママの会など広範な人々が立ち上り、反対運動を展開している。亡くなった高名な評論家加藤周一は、「時間を自由に使えるのが学生と老人だ」といっている。年が明けると夏には参議院選挙が巡ってくる。来年は、安倍政権の度重なる悪政を大掃除できる年となることを期待したい。


  「非立憲」政治への警鐘 安保法制急ぐ政権に専門家
 集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案が国会で審議中だ。国会に呼んだ憲法学者3人全員が「違憲」と指摘しながら法案の成立を急ぐ安倍政権に、今度は「非立憲」という言葉で、専門家から警鐘が鳴らされた。

 2015月6月6日、東京・本郷の東大で、法学や政治学の専門家らでつくる「立憲デモクラシーの会」が、シンポジウム「立憲主義の危機」を開いた。大勢の立ち見が出るほどの約1400人が集まる中、佐藤幸治・京大名誉教授が講演した。

 佐藤氏は、政府の行政改革や司法制度改革にかかわった経験もある憲法学界の重鎮。シンポジウム2日前の衆院憲法審査会で、自民党推薦の憲法学者が安保関連法案は「憲法違反」との見解を示したが、同党が当初、審査会に呼ぼうとしたのは佐藤氏だったという。聴衆の関心は「安保法制について何を語るのか」にも寄せられていた。

 佐藤氏の講演は、世界と日本の立憲主義の歴史をたどる内容だった。大正デモクラシーなど明治憲法下でも「立憲主義の一定の成果」があったことや、「戦争が立憲主義の最大の敵」であり、日本国憲法は、人権保障など立憲主義の特質をとらえ直したものであることを指摘。「憲法に基づいて政治を行う」という立憲主義を考える時に重要なのは、「人類が恣意(しい)的支配を避けようと自覚し、試行錯誤を重ねてきた歴史から何をくみ取るか」だ、と述べた。

 また佐藤氏は、憲法学者の佐々木惣一(1878~1965)の著書「立憲非立憲」(1918)に言及。日本の立憲制度の採用は、日本だけではなく、人類の文化や政治にかかわる意味を持つとの論考を紹介した。佐々木によると、憲法に違反しないだけでは立憲とは言えず、「立憲主義の精神に違反」する「非立憲」も避けなければならないという。

 佐藤氏は、安保法制への直接的な見解は示さなかった。しかし、講演後の議論で石川健治・東大教授が、「立憲非立憲」を取り上げたのは、「非立憲的な政権運営が行われていないか、とおっしゃろうとしたと思う」と解説。これを受けて佐藤氏は、非立憲的な行動を「政治家は特にやってはいけないと(佐々木が)言っている」と加えた。

 議論に加わった樋口陽一・東大名誉教授も、安倍政権が憲法改正の発議要件を定める憲法96条を改正しようとしていたことに触れ、「自分の都合に合わせてハードルを下げるのは、非立憲の典型」であると話していた。

 「問題提起した意味大きい」
 78歳の佐藤氏の言葉から、会場にいた30~40代の憲法学者も、現政権の取り組みへの批判や日本の立憲主義への強い危機感をくみ取っていた。

 斎藤一久・東京学芸大准教授(42)は、「集団的自衛権や安保法制について言及はなかったが、『問題がある』という趣旨だったと思う」と話す。「憲法の根幹に触れるような『最後の一線』に極めて近い状況まで至っており、戦前の歴史から見て『いつか来た道』ではないかという危機意識もあるのではないか」

 木村草太・首都大学東京准教授(34)は、佐藤氏が「非立憲」の考え方を紹介することで、「今、起きている問題は、9条など個別の条文についての解釈のレベルを超え、立憲主義の根本にかかわることだと強調された」と振り返る。「メディアや市民の期待をわかっていて、法案が違憲だと説明することもできただろうが、歴史を語り、日本の立憲主義が危機にさらされていると話した意味は大きい」と説く。
 藤井裕介 朝日新聞2015.6.16
 佐藤幸治 世界史の中の日本国憲法 副題立憲主義の史的展開を踏まえて 左右社2015.8.15転載


 「東大法学部大教室に現れた「立憲主義の地霊」
それは見たことのない光景だった。6日夜、討論会「立憲主義の危機」が開かれた東京・本郷の東大法学部25番大教室。700の座席は開会30分前に埋まった。途切れず押し寄せる聴衆で危険になり、急きょ別の2つの教室も開けた。配られたレジュメは1400人分に上った。「立憲主義の地霊が現れたようだ」。主催者の1人、憲法学者で東大教授の石川健治はこんな思いに襲われた。
 清水真人 日本経済新聞2015.6.16転載
 
 
あれは、安倍政権によるクーデターだった
 憲法の空文化以前に、立憲非立憲の話を致します。京都帝国大学で活躍された佐々木惣一(1878-1965)立憲主義者、違憲合憲とは別に立憲非立憲という問題を考えなくてはいけない。とりわけ、立憲的な政治家はそのことを重視しなければならないのだ。

 当時の明治憲法は、あえていうと外見的立憲主義だった。外見的立憲主義は一定の評価をしてはいるが、形の上では立憲主義だが中身は専制主義だという捉え方をした。つまり、真髄まで立憲的権力になっていなくて、外側だけ立憲主義に似せている。よく言われる比喩として、立憲主義の鎧の中に専制主義が見え隠れしている状態を指す。

 どういうことになるかというと、憲法に書いてあることは約束したことだから守りましょう。しかし、憲法に書いていないことは専制権力としてやらせてもらいますという典型的な外見的立憲主義の現れ方だ。

 そういう状況の中で、仮に憲法に書いていないこと、あるいは明確に違憲だといえないことについても、本当の立憲的な権力であるためには、それは非立憲であるんだ合憲かもしれないが。一見して明白な違憲ではないかもしれないが、非立憲であるという考え方を身に着けなければならない。自然にブレーキがかかるようにしなければならないと力説された。大正デモクラシーを演出してゆかれた方だった。

 これが目安となるが、今立憲非立憲を言わなければならないのは絶望的に残念なことだ。今目の前にいる権力は、既に専制権力であって、日本国憲法を外見的立憲主義の様相をもって扱おうとしている。
 (ビデオ対談)石川 健治と神保 哲生、宮台 真司との対談より抜粋2015.7.18
 https://www.youtube.com/watch?v=4VLYUqQN43s2015.7.18