2015年3月日本人に語ったトマ・ピケティの助言

 この20年来、富を持つものと持たないものとの格差(あるいは不平等)が急激に高まってきたことを誰しもが感じている。世界的に広がる格差問題について、歴史的に膨大な格差のデータを収集して「21世紀の資本」を著したフランス生まれの経済学者に注目が集まった。一躍時の人となったトマ・ピケティは、2015年1月末来日、4日間の予定で各分野と精力的に数多くの講演や対談を行った。

 同氏は世界中から集めた有史以来の膨大な資産所有と所得データを分析した結果、景気変動や第一次、第二次世界大戦の戦争期間を捨象することにより、「資本収益率r>経済成長率g」不等式という有史以来を貫く歴史的な資本主義運動法則を発見した。そして今後はますます、富を増殖する資産家と富の持たない労働者間とで資産所有(ストック)格差と所得(フロー)格差をもたらすというものだ。

 資本主義は生まれてから今日まで約200年間、第一次、第二次世界大戦をはさみ好況と不況の景気変動を繰り返してきた。近代経済学は有史以来からみれば比較的短い期間を研究対象とし、その間の経済統計を基に複雑な数式を駆使して経済理論を生み出し、その時々の経済政策の根拠をなしてきた。それら経済理論は限られた期間という条件付きで適用できるものだった。近代経済学は有史以来の長期の人類の経済活動を見落としてきた。

 こうした近代経済学は、経済成長によって資産所有と所得格差はいずれだろうとするクズネッツの経済成長理論を前提としている。これに対し、トマ・ピケティの資本主義運動法則は、主流派経済学者の経済成長理論を真っ向から否定するものだ。従来理論に立つ主流派経済学者は、今やこの有史以来を貫く巨視的r>g不等式を正面から否定することはできないでいる。そしてトマ・ピケティ理論の細部について、この理論が日本に合わないとか、細部のデータ処理に誤りがあるとかとのあら捜しの批判をしている。しかし、それはあまり成功していないようにみえる。

 この先いつまで続くか分からない、資本主義の約200年間に比べると人類の有史期間ははるかに長い。トマ・ピケティの功績は、経済学の研究対象期間を長い有史期間にまで広げ、経済学研究が専門家の占有から一般市民にまで広げたことだ。

 トマ・ピケティは海外と国内で日本人との間で数多くの対談を行っている。
海外編 パリにて
 朝日新聞 有田哲文、大野博人
国内編
 古舘伊知郎、菅野稔人、日本記者クラブ、池上彰、吉川洋

この中から共通する論点を挙げてみる。
論点1 安倍政権のトリクルダウン、金融緩政策に対する評価
論点2 公的債務危機に関連して、消費税、所得税、法人税、資産に対する累進課税
論点3 タックスヘブン(租税回避地) 世界的な資本税、富裕層への課税 世界共通のデータベース 透明性の確保
論点4 若い人、女性、非正規労働者などの低所得層に対する配慮
論点5 民主主義は闘争、経済学を専門家から一般のものに
論点6 フランス人権宣言に関連して

 トマ・ピケティの助言
論点1 安倍政権のトリクルダウン、金融緩政策に対する評価
クズネッツの経済成長理論は世界第一次大戦から世界第二次大戦後の一時期まで戦争ショック期間は確かに有効だった。しかし歴史的に見て、その期間前もその後現在に至るまでトリクルダウンは起きていない。今後も起きないだろう。

 金融緩和について、札を刷ってさらにマネーの供給を増やすと資産の価格のバブルを引き起こしやすくなる。株価を押し上げることにはなり、格差が広がる恐れがある。はっきりと有効かどうかを答える自信はないが、いずれにしても税制を変えるよりも、手軽という意味で短絡的な手法だ

論点2 消費税、所得税、法人税、資産に対する累進課税、公的債務危機
 消費税について、これはあまり当てにすべきではない。消費税は累進性がなく、低所得層にしわ寄せがいく。もともと貯蓄の少ない層に税金をかけることで消費を抑えかねないのであまり良い税ではない。

 所得税と法人税について、ある意味では非常に似通っている。法人の所得税と考えることができるからである。また、日本には固定資産税がある。これは不動産という重要な富に対してかかる税であるが、もう少し累進税を持たせる方がいい。さらに負債分を除いた純資産に課す。資産形成する世代の負担を和らげ、富を貯蓄した高齢者から、住宅ローンなどを抱える若い世代へと富を移す有効な方法だ。

 公的債務危機について、特に過去でいろいろ使われた、いわゆるデッドリスケといわれているものがある。これは私有財産に対する累進性の課税ということで、これは文明的に使われてきたものだ。過去すべて使われてきて、成功した例もあると思う。一方、歳出削減という選択(緊縮財政政策)、または公共において富(公共投資)を蓄積するというのは非常に時間が掛かるので問題があると思う。歴史から学べる教訓の一つとして、おそらく混合させる、つまり若干インフレに誘導をし、若干債務のリストラクチャリングをやりという風に、組み合わせていくというのが一番いいと思う。

 歳出だけを削減して債務返済をする。その際に成長もインフレ率も非常に低いままということになると50年、100年という影響(公債累増)が出てくるの。本の中にも書いたが唯一挙げられるのは19世紀の英国の例だ。これはまるまる一世紀掛かって、ようやく公的債務を返済した。
 そのかなりの金額を国内の金利生活者に対する利払いに使い、教育に回すお金をどんどん減らしてきた。日本にとっても、ユーロ圏にとっても、これはあまりいい解決法とは考えられない。

論点3 タックスヘブン(租税回避地) 世界的な資本税、富裕層への課税 世界共通のデータベース 透明性の確保
 状況を是正することは可能だと思う。たとえばスイスの事例を見てみよう。 10年前まではスイスの銀行は絶対秘密主義で、それを崩すのは不可能だと誰も思っていたが、「情報を開示しないと制裁を科す」とアメリカが決めたら、つまり適切な制裁を科せば金融の透明化につながるわけだ。国際協力の枠組みが今ないからといって、わたしたちは歴史から学べるし、大きな政治的ショックを待たずともタックスヘブンとの戦いが進められる。私は、未来は結構明るいと思っている。

論点4 若い人、女性、非正規労働者などの低所得層に対する配慮
 例えば非常に保護主義的(かっての終身雇用制度を指す)な状況があったとして、またいわゆるパートとか臨時雇用が多くいる状況(労働者派遣法制定以降の状況)になると、これは格差、不平等にはいい状況ではない。日本の労働市場における不平等が特に大きくなると、若い世代にとってはダメージが大きいことになる。特に女性には非常に問題であり、若い世代は将来的に非常に厳しい状況になるだろう。

 それゆえ労働市場の環境として、保護主義的すぎるといけないと思うが、より人口に占める多くの人たち(中間層以下)をカバーするような保護的な、つまり一部だけを保護するのではないものをつくる必要があると思う。

論点5 民主主義は闘争、経済学を専門家から一般のものに
戦ってください。民主主義というのは戦いだ。つまり、社会、財政制度、若者にとって、公平、今のところあまり待遇がよくないようだけれども、待遇改善のための闘争だと思う。民主主義はもっと強化できる。しかし、民主主義というのは闘争だ。誰もが関わらなければならない。


 「日本人に語ったトマ・ピケティの助言」今後の日本の将来を考える上で、このフランス人が率直に語った助言は多くの示唆に富み、参考になる意見が数多い。従来の経済学にとらわれない、大胆率直な眼差しが感じられる。
・トリクルダウンに依存する経済成長理論、金融緩和に依存して市場に任せすぎるのは安易すぎ、格差拡大を招くと指摘。

・消費税は逆進性をもち低所得層に負担を強いるので、あまり良い税ではない。
消費税増税は有効需要を減らす。

・租税の応能負担原則にしたがって、所得、法人にかかるフロー課税はかっての高累進性を持たせるべき。
所得税、法人税の累進性課税は有効需要を減らさない。

・暦年の巨額国公債発行は、歳出に占める教育・社会保障関係費・地方交付税などの主要諸経費を圧迫する。また公的債務の返済は金利生活者への元金償還・利払いに回り、資産格差を助長する。

・若者、女性、非正規労働者などの低所得層に対する配慮について、氏の助言は直接労働者派遣法について触れていないが、今日同法によって労働者の労働条件が著しく引下げられていることは紛れもない事実だ。論点5は正しくこれを指している。世の中に格差を論じている経済学者は多いが、これを正面に据えて論じている例は少ないように見える。

・公的債務の所有が外国人によって占められるようになると、デフォルト(国家破産宣告)の危険性が増す。また公的債務の解消について、ハイパーインフレにより急激な資産価値切り下げを行うと、公的債務は帳消しできるかもしれないが金融危機を招き国民経済や国民生活は大混乱に陥る。いずれも賢い方法ではない。

・租税徴収のあり方を考える上で、先に公的債務を解消する手順について答えを出さなくてならない。主流派経済学者は、これについてまともな答えを出していない。
 トマ・ピケティは公的債務を解消する処方箋として、累進性の高い資産課税は経済成長率の低下を伴うことなく最も「文明」的な方法で達成することができるとしている。
 累進性の高い資産課税は有効需要を減らさない。一見困難にみえる方法ではあるが、民主主義手続きによって徐々に進めてゆけば可能だと楽観している。
(敬称略)


参考:フランス人権宣言に関連して
パリにて、朝日新聞大野博人の取材後記をそのまま転載。
「格差」の問題を語るとき、同じ状態を指すにしても、「不平等」は、民主主義の基本的な理念である「平等」を否定する言葉でもある。これがはらんでいる問題の広さや深刻さを連想せずにはおれない。

 「不平等」の歴史をたどり、その正体を読み解いて見せた「21世紀の資本」が、経済書という役割にとどまらず、著者自身が述べているように政治や社会について語る書となっていったのは当然かもしれない。また、読者も自分たちの社会が直面する問題の本質をつく説明がそこにあると感じたのではないか。

 同氏は資本主義もグローバル化も成長も肯定する。平等についても、結果の平等を求めているわけではない。ただ、不平等が進みすぎると、公正な社会の土台を脅かす、と警告する。

 そして、平等を確保するうえで必要なのは、政治であり民主主義だと強調する。政治家や市民が意識して取り組まなければ解決しない、というわけだ。たとえばインタビューで、フランスが所得税の導入で他国より遅れ、不平等な社会が続いたことを例にあげ、「革命をしただけで十分」と考えて放置してきたからだ、と指摘していた。

 この考えは、財政赤字の解決策としてインフレと累進税制を比較したときにもうかがえた。インフレ期待は、いわば市場任せ。それに対して累進税制は民間の資金を取り込むという点では同じ。だが、だれがどう払うのが公正か、自分たちで議論して考えるという点で、「文明化された」インフレだという。つまり、自分たちの社会の行方は、市場や時代の流れではなく自分たちで決める。「文明化」とはそういうことも指すのだろう。

 「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えてみる。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に……。それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことがいっそう鮮明になる。


             フランス人権宣言
           人と市民の権利の宣言(1789年)
前文
 国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。
 この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。立法権および執行権の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法の維持と万人の幸福に向かうように。
 こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利を承認し、宣言する。

第1条(自由・権利の平等)
人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない。

〔宣言の採択〕
 ラファイエットによって宣言が起草された当時、宣言は絶対王政から立憲君主制への移行の一部、つまり憲法制定の前段階として意図されていた。1789年の理念を体現するもので、1791年憲法の基調となった。しかしすぐにフランスは共和制になって憲法も代わったので、この文書は2度も全面的な修正をうけた。基本精神は残しつつも、1789年の人権宣言が法体系のなかに組み込まれていた時期は短い。

 宣言で述べられた諸原理は、個人主義やロックの抵抗権の考え方、ルソーによって理論化された社会契約、モンテスキューによって支持された権力分立といった啓蒙時代の哲学的、政治学的諸原理に由来する。
宣言は、ジョージ・メイソンによって進められ、1776年6月12日に採択されたバージニア権利章典や1776年7月のアメリカ独立宣言にもまた基づいている。
 ウイキペディア百科事典より転載