2014年7月日本国憲法は死んでいる

 「日本国憲法は死んでいる」
 
「日本人のための憲法原論」小室直樹 第1章13p 集英社2013.6五刷
 
いささかギョとするタイトルである。最近、安倍首相は憲法解釈の変更により憲法違反の「集団的自衛権」行使を強行しようとしている。これを考える上で、そもそも元になる「憲法」とは何であるか。わたくしを含め日本人はどれだけ知っているかが甚だ心もとない。憲法を論じた本は世の中に数多い。その中でも、表記の本は根源から憲法の成り立ちを記述している。これに従って昨今の「集団的自衛権」行使の論議を考えてみよう。


 最初に同書の中から参考になる箇所を引用してみる。

 序言 憲法とは
  西洋文明が試行錯誤の末に生み出した英知であり、
  人類の成功と失敗の経緯を明文化したものである。

 まえがき
 現在の日本には、さまざまな問題があふれかえっています。
10年不況、財政破たん、陰惨な少年犯罪、学級崩壊、自国民を拉致されても取り返さない政府・・・・・実はこうした問題の原因をたどっていくと、すべて憲法に行き着くのです。
こんなことを言うと、みなさんはびっくりするかもしれませんが、今の日本はすでに民主主義国家ではなくなっています。いや、それどころか近代国家ですらないと言ってもいいほどです。憲法という市民社会の柱が失われたために、政治も経済も教育も、そしてモラルまでが総崩れになっている。これが現在の日本なのです。

 第1章 日本国憲法は死んでいる 
  [設問1]日本国憲法は生きているのか、死んでいるのか。
 憲法以外の法律、たとえば刑法や民法なら、それは間違いではないが、法律は一度作られたら、それが議会で廃止されたり、最高裁判所から違憲判決を下されたり、判例変更されたりしないかぎり、生きつづける成文法である。中略

 殺されたワイマール憲法
 ところが、それに対して憲法は違う。憲法は公式に廃止を宣言されなくても死んでしまうことがある。その最たる例は、ドイツのワイマール憲法でしょう。中略
このワイマール憲法は当時、「世界で最も進んだ憲法」といわれた。 中略
ところが、そのワイマール憲法があっさり死んでしまう。その下手人がヒットラーだった。といっても、ヒットラーはワイマール憲法にはいっさい手を触れていない。廃止していない。ヒットラー率いるナチスは政権を取るまでワイマール憲法に従って行動している。

 ナチスは憲法に従って国会選挙で勝利を収めて、1932年、第1党になる。ヒットラーが1933年1月30日、首相に就任したのも憲法規定に基づいた合法的なことだった。このときはまだワイマール憲法は生きていた。では、ワイマール憲法はいつ死んだのか。
それは1933年3月23日のことだ、というのが多くの憲法学者の意見である。この日、ドイツは議会では非常に重要な法案が可決された。それが「全権委任法」(授権法、翌日公布・施行)だ。この法は、法律を制定する権利、つまり立法権を政府にすべて与えるというものだ。本来、法律の制定権は立法府である議会のものであって、行政府のものではない。これは議会政治の基本中の基本とも言うべきこと。どの法律もその趣旨で作られている。

 ところが、この全権委任法によって議会は立法権をヒットラーに譲り渡してしまった。この結果、彼は自分の望むとおりの法律を作り、それを執行できるようになった。この全権委任法の後ろ盾があるから、彼は「合法的」にドイツの独裁者になれたというわけだ。

 憲法学者の見解
 憲法学者は「全権委任法はワイマール憲法だから、無効である」とは考えない。実際のところ、違憲だろうが何だろうが、現実にこの法律によってヒットラーは独裁者になっているのだから、そんな議論は無意味。憲法の専門家は「1933年3月23日をもって、ワイマール憲法は死んだ」と考える。ヒットラーはワイマール憲法を一度も廃止していないけれども、この日、ワイマール憲法は実質上、廃止されたとみる。

 憲法とは慣習法である
 ワイマール憲法の例が示唆していることは重要。「憲法は成文法ではなく、本質的には慣習法」という事実である。「イギリスの憲法は慣習法であり、日本やアメリカの憲法は成文法」である。しかし、たとえ「憲法」と題された法律があったとしても、憲法は本質的に慣習法である。大事なのは法の文面ではなく、慣習にある。たとえ憲法が廃止されなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失った、つまり「死んでいる」とみるのが憲法学の考え方である。


 「集団的自衛権」行使が法律化されると、日本国憲法は実質上廃止状態となる
 自衛権に関して歴代政権が進めてきた憲法9条の解釈は「日本が直接攻撃を受けた時にだけ反撃できる個別的自衛権(必要最小限度の自衛権)」までとしてきた。現在、安倍政権は「他国に対する武力攻撃が発生した時も自衛権を発動できるとした「集団的自衛権」行使容認」へと、憲法解釈を大きく逸脱した解釈改憲を閣議決定しようとしている。

 現在、安倍首相が進めている憲法解釈変更による「集団的自衛権」行使容認が法制化されると、憲法は実質的な効力を失い廃止状態となる。これは、憲法解釈上からも憲法改正手続き上からも明白な憲法違反である。

 ヒットラーが辿った独裁者への道
 ヒットラーは、議会が立法権を行政府に譲り渡す憲法違反の1933年3月23日「全権委任法」可決したことによって独裁者になった。それによって憲法は実質的な効力は失った。

  1929年ニューヨーク株式市場の大暴落(ブラックサーズディ)に端を発した金融恐慌は、企業倒産、失業続出、経済規模縮小を引き起こし瞬く間に世界を巻き込み世界同時不況へと進展していった。ケインズが有効需要の理論を発表する以前に、1933年1月30日首相に就任したヒットラーは、公共投資こそ不況からの脱出策であるとして経済政策「四カ年計画」を発表した。

 「ドイツ国民よ、我々に四年の歳月を与えよ」と訴えた。ヒトラーは「ドイツは今後、四年間に失業者が600万人から100万人に減少するであろう。全国民所得は140億マルクから560億マルクに増加するであろう。自動車生産は4万5000台から25万台に増加するであろう。ドイツは人類始まって以来の空前の道路を持つことになるであろう。中産階級及び貿易は未曽有の好景気になるであろう。幾百万の家屋を有する巨大新家族集団地が帝国各地に出現するであろう。ドイツは一人のユダヤ人の力も借りずして知的覚醒を経験するであろう。ドイツの新聞はドイツのためにのみ活動するようになるであろう。」といった公約をドイツ国民に行った。
 
これをヒトラーは2月1日に国民へのラジオ放送で「四カ年計画」と呼んだ。
 ヒットラーの経済政策「四カ年計画」 ウイキペディア フリー百科事典


 ヒットラーはドイツ全土にアウトバーンを張り巡らせ、大軍拡を行うことによりドイツの有効需要を急増させた結果、失業者は減り国民総生産が増え景気を回復させた。

 ヒットラーと安倍首相との相違点と相似点
 ヒットラーは合法的な選挙によって首相についた後、国民に「四ケ年計画」実行を公約した。経済政策は成功し、景気は回復した。それまで不況に喘いでいた国民は、ヒットラーの公約を信じることと引き換えに立法権を議会が行政府に譲り渡す「全権委任法」を受けいれた。これによりワイマール憲法は実質上廃止状態になった。

  2012年12月に発足して第二次安倍内閣は国民に対して「3本の矢」と称し、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を基本方針とするアベノミクスを国民に公約した。企業への法人税減税、他方では消費税増税による国民所得収奪による民需の減少、公共投資により国民総生産を増やしデフレ脱却を目指している。

 現在の日本経済は、いまだ長引くデフレ経済(不況)下にある。「バランスシート不況の経済学」によると、デフレ経済(不況)下の経済政策は総供給が十二分にあるが総需要が不足ししている。2013年現在の給与所得者の平均給与は1998年に比べで約60万円以上減り消費が低迷(民需減)していることが主要原因である。

 安倍内閣の経済政策は「バランスシート不況の経済学」が教えるデフレ経済(不況)下で取るべき方向とは逆行している。即ち、消費(需要)を冷やす消費税増税、必要のない法人税減税などの富裕層から貧困層へトリクルダウン政策を取っている。これではヒットラーが国民に公約して成功を収めた「有効需要」を喚起することができず、デフレ経済(不況)を脱することはできない。

 ヒットラーは経済政策の成功を背景に、国民の圧倒的人気のもとに国家権力を手中にした。一方、安倍内閣はヒットラーのように経済政策が成功する見込みはいない。また、現在安倍内閣は解釈改憲による「集団的自衛権」行使の法制化を目論んでいる。戦争に巻き込まれるおそれのある解釈改憲には国民の大半が反対している。仮に、これが実現すると日本国憲法が実質上廃止状態となり、71年前の1933年ヒットラーがワイマール憲法を葬り、独裁者へと駆け上ったことと同様の道を突き進むことになる。

 歴史の教訓を学ばない安倍内閣は、全国民的反撃によって退陣を迫らなければならない。