2014年5月ふたつの花見

 3月初旬を過ぎるころになると、各地の開花情報が新聞やテレビをにぎわす。
 今年の開花は何時になるだろうか。古来日本人は、東アジアモンスーン地域の端で主に米づくりの水田耕作を営んできた。その年に咲く花木の開花状況を見ながら農作物の種まきの時期を決める。桜の開花が国民的話題となるのは、農耕してきた日本人が持ってうまれたDNAのようなものである。

 さて、今年の東京の開花は3月25日だった。八王子は東京におくれること約5日後の3月30日頃になった。この時期、仲間が集まると、あと何回花見ができるかなどが話題になる。花の時期は天候が変わりやすい。一週間前に花見の日を決めていても、1~2日前になると当日が雨になる予想に変わり急遽中止となることがある。予めみんなは予定を大体曜日で決めていることが多いので、花見に合わせた日程の調整が難しい。

 ことしは違ったグループの仲間で花見の話が4回あった。その中で実現できたのは2回。最初が3月31日多摩御陵・陵南公園「男のクッキング」料理の仲間総勢11名、次が4月8日片倉城址公園「家庭菜園」仲間。咲き始めから散り始めまで、この8日間は、八王子中どこを歩いてもさくら、桜だった。

 花見には酒がつきものである。しかし飲んでばかりでは芸がない。そこで唄を歌おうということで、わたくしは予めわらべ歌、唱歌、ロシア民謡、フォーク、寮歌、歌謡曲、日本民謡の中から誰でも知っていそうな約100曲を、「シルバー世代の叙情歌」と「シルバーの演歌」歌集にまとめてプリントして用意した。

 はじめの「男のクッキング」料理の仲間の花見。ここでは料理の最中にはあまり身辺を語っていない。そこで順送りに、ひとりづつ生い立ちなどの話をしてもらうことになった。まず生年月日から言ってもらう。そこで分かったことは最年長が昭和6年生まれ、最若年が昭和20年。その差14年になる。(ちなみにわたくしは昭和15年生)

 歌声喫茶の話になった。昭和18年生頃以降の仲間は、これの体験がないという。やはり戦後の世代差を感じる。仲間の中にハモニカを吹くことができる人がいる。最初は「シルバー世代の叙情歌」をハモニカに合わせてみんなで歌った。結構みんなは歌える。やはりラジオやテレビの初期に育った昭和世代には共通したものがある。

 あとの花見「家庭菜園」仲間総勢6名では、料理と酒がひとしきり済んでから歌になった。今回も畑代表が歌の伴奏にギターを持ってきた。最初は叙情歌から始まった。次にロシア民謡、昭和の歌謡曲へと、要望に応じで次々にギター伴奏がついてくる。

 このひとの出身地は北海道・旭川市である。譜面なしで伴奏ができるので、その訳を聞いてみると十代のころ自己流でギター奏法を覚えた。就職後、仕事帰りに飲み屋街に立ち寄り、そこで流しのギター奏者に知り合った。その奏者が客から酒をすすめられて酩酊したときなどにはその代わりにギター伴奏をしたこともあるとのこと。これで鍛えられたためか、楽譜などをみなくても曲のメロディさえ覚えていれば大体伴奏したという。

 先日テレビをみていたら昔の名物流しのギター弾きが若いころ、10,000曲位覚えていて、いまでも1,000曲位は弾けるといっていた。最近はカラオケがあるため歌詞を覚えているひとは少ないが、昔はみんな必死になって歌詞を覚えていたものだろう。

 叙情歌から演歌までえんえんとシルバー世代の歌がつづいた。途中で通りがかりのご婦人も呼び込んで一緒に唱歌などを歌った。二人連れの若い外国人(たぶん宣教師)も引き入れ日本語と英語のちゃんぽんで会話しながらアメリカ民謡なども歌った。わがギター奏者はこれに合わせて弾いてくれたのには再び驚いた。
 正午から始まったながい長い饗宴が終わったのは、西に日が傾いた午後5時頃だった。

            よびこんで 英語もまじる 花むしろ 幹治