2014年2月日本最南端の開花と、名護市長選

2000年7月に第26回主要首脳国会議九州・沖縄サミットが沖縄県名護市で行われた。わたくしは、それに合わせた消防無線の拡充工事で同年1月中旬に名護市を訪れた。休日に名護中央公園に行くと、小高い丘に植えられた日本で一番早い五分咲きの花見をすることができた。日本列島で開花が一番早い1月中旬頃咲く、梅のようなピンク色の花をつける緋寒桜が沖縄にある。この桜は寒さに当たると咲きだすという性質をもち、本土の桜の開花が本土北上するのに対し、沖縄列島のそれは南下するという。

折角、沖縄にしているので沖縄民謡を聴きたいと思った。宿の人に尋ね町外れの民謡酒場を紹介してもらい午後八時頃でかけた。ここまでは観光客は来ない。十時を過ぎる頃になると漸く地元の人が集まってくる。三味線に合わせて歌手が歌い始めると周りのひとが手を左右にふって踊りだす。哀調を帯びた曲が流れると自然と体がうごく。そのうちに隣年配のひとがわたくしに話かけてきた。なんでも東京で警視庁に勤め退職を期に地元に戻ってきたという。

ここでは隣近所や親戚がよく集まって食事をしたり踊ったりするので心も体の休まる土地だ。あんたもここに来て住まないかといわれた。決して豊かではないが、人間らしい人情の濃い生活をする昔の日本がまだここに残っているようだ。

米軍普天間飛行場から名護市辺野古への移設の是非が争点となった19日沖縄県名護市長選は、「辺野古ノー」と主張した稲嶺氏が「辺野古移設容認」する自民党推薦の前県議の末松氏を破って再選された。

仲井真沖縄県知事は昨年12月27日国が申請した辺野古埋め立て申請を承認した。これに対し、この承認は選挙で「県外移設」を掲げた政治家としての公約違反であり、県議会が重ねて全会一致で求めてきた「県内移設反対、普天間基地は国外・県外移設」とする決議を決定的に踏みにじるものであるとして、本年1月11日県議会は仲井真知事への辞任要求決議をして可決成立された。

これまで、辺野古移設を推進させるため沖縄県に対し政府自民党の石破茂幹事長は、16日告示後初めて移設推進を掲げる末松氏の応援に入り、500億円の「名護振興基金」「病院や小中一貫校の建設」振興基金構想を打ち上げた。この地元に手形を乱発して有無を言わせない国家権力のやり方に対して、名護市民は誇りを傷つけるものとしてこれにきっぱりとノーを下した。

 名護市長選「辺野古ノー」主張した稲嶺氏再選 
 緋寒桜 たおやかにして 凛然と 幹治


 名護市長選稲嶺氏再選
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が最大の争点となった19日の名護市長選で再選を果たした稲嶺進氏は20日午前、市大中の後援会事務所で会見を開き「勝利を実感し一夜明けて、これからまた押し寄せてくることに頑張っていかなければならない」と述べ、移設阻止に取り組み決意を新たにした。
今後、移設計画が進められた場合については「手続きとして調査などがあるかもしれないが、漁港管理など市長の権限を使って止める」と語った。
 
琉球新報2014.1.20

 独裁と戦争 我々が決める
年は改まっても政治は継続する。その一方、変化の兆候も多く、別の時代に入ったようにも思われる。懸念は独裁と戦争。
去年の12月27日、沖縄県の仲井真弘多知事が辺野古の埋め立てを承認した。普天間基地の県外移設を口にして安倍政権に抵抗の姿勢を見せていたのが一転、事実上、県内移設を認めると言った。

しかも、政府が提案した条件について「驚くべき立派な内容」とか「有史以来の予算」とか、正に歯の浮くような賛辞を並べながら、なぜ方針を逆転したかについては何の説明もない。ひょっとして彼はまぶい(魂)を落としたのか。
民主主義を駆動するのは言葉だ。県知事である仲井真がこれほど重大な判断について詭弁(きべん)を弄(ろう)するのは、それ自体が民主主義に対する違反である。「五年以内に普天間の運用停止」という言葉には何の裏付けもない。辺野古に移す案を進めておいて、どこに県外移設の見込みがあるというのか。

普天間=辺野古は沖縄だけの問題だろうか? 水俣を、福島を、それぞれの地域に住む「不運」な人々だけの問題としてよいか?
その地域の外に住む我々は、彼らの受苦を共有しようとしてしきれないことを悔やんできた。しかし、このところの推移を見ていると、この先は国民みんなが受苦の民になりかねないのだ。

去年の11月、北海道の猿払(さるふつ)村で起こったことも一連の流れの中にある。旧陸軍浅茅野(あさちの)飛行場の建設に動員されて亡くなった朝鮮半島出身者の追悼碑の除幕式が、形式的な理由で中止された。我々の中にあるお詫(わ)びと哀悼の思いの表現が封じられた。

表現を封じると言えば、特定秘密保護法の強行採決ということがあった。これについてはたくさんの反対意見が出た。そもそもこの法は「何が秘密であるかは秘密である」という原理的な矛盾を含んでいる。「すべてのクレタ人は?(うそ)つきである、とあるクレタ人が言った」と同じ類の撞着(どうちゃく)。違反者が裁判にかけられたとして、その裁判の要点は秘密になる。民主主義国の公正な裁判ではなく、ほとんど軍法会議ではないか。

日本国の政治の基本原理は主権在民だ。だからこの国で作られたものはすべて国民の資産であって、情報もまた同じ。それを官僚が独占し、60年に亘(わた)って隠すというのは国民の資産の横領に他ならない。
特定秘密保護法を求めたのはアメリカだと言われるが、何が目的なのだろう? ジュリアン・アサンジとスノーデンが大量の国家機密を開示した。それでアメリカは情報の囲い込み策を強化した。ドイツの首相のケータイを盗聴していたことがばれたとなれば、次はばれないようにと考えるのは当然。そこで内部告発を厳罰化した。

しかし日本の場合、ことはそのレベルには納まらない。安倍自民党はこの国を着々と一定の方向へ持っていこうとしている。行く先は危険な領域であり、舵(かじ)の切りかたは腕力主義、力ずくというに近い。日本は戦争ができる国、戦争をしようとしている国に、まるで変身ロボのように形を変えつつある。プリウスが戦車になる。

白井聡の『永続敗戦論』に鋭い指摘があった。日本は戦後すぐ民主主義に移行したが、韓国と台湾は軍事独裁政権が続いて民主化はずっと遅れた。その理由を白井はアメリカの意向と読む。ソ連とにらみ合う冷戦の状態では、前線の国を民主主義に委ねるわけにはいかなかったのだ。日本は海を隔てて後衛の位置にあったから手綱を緩めることができた。
では我々は中国と冷戦の状態に入ったのだろうか? 本当にそうなのか? それでいいのか?

安倍首相は居丈高に対決の姿勢を誇示する。この時期に靖国神社に参拝したのは挑発と受け取られてもしかたのないふるまいだった。アメリカまでが強い不快感を示した。
係争の地域では武装した艦船や航空機が小競り合いを続け、中央政府の間には意思疎通の回路がない。これは偶発戦争に?(つな)がる構図である。この時期に識者は、第一次世界大戦が偶発的に起こったことを指摘している。

安倍政権の本質を露(あら)わにしたのが「デモはテロ」という石破自民党幹事長の発言だった。国政の中枢にある人が主権在民の原理を理解していない。間違えないでほしいが主人は我々。我々があなたを雇ったのだ。

民主主義は選挙を出発点とするが、選挙結果は全権委任ではない。とりあえず預けただけであって四年間の勝手放題を許した覚えはない。官僚も議員も、我々が時期を限って権限を委託したに過ぎない。
尾が犬を振ってはいけない。決めるのは彼らではなく我々である。
 
池澤夏樹(終わりと始まり)朝日新聞夕刊連載コラム2014.1.8より転載