2014年12月新宿御苑のデジカメ撮影会

 この秋は、新宿御苑に隣接する代々木公園でエボラ出血熱の蚊による感染事件が大きな話題になった。テレビのニュースでは、もう11月にも入り蚊も死滅しているので大丈夫とのこと。そこで新宿御苑へ仲間と一緒にデジカメ撮影会にいった。

 11月6日朝、デジカメ撮影の仲間と現地へ向かう。高尾から現地へ行くには京王線で新宿へ行き、新宿で総武線に乗り換え千駄ヶ谷で降りれば千駄ヶ谷入口が近いということだった。久しぶりの都会のど真ん中の大公園での撮影会である。ご高齢の方もおられるので、お上りさんになった気分でゆっくり撮影を楽しもうということになった。

 40年以上前の新年、おせち料理を持って子どもたちを連れ新宿御苑へ行ったことがあった。その時は新宿まで京王線で行き、そこから歩いて御苑新宿入口から中に入った。園内はやたらに広く芝生や大木があちこちに散在していた記憶がある。

新宿御苑のルーツ
 新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部である。
 東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされている。

 内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となった。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上したが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていた。新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせ、十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することになった。

 また現在大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部である。
このようないきさつから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷ということができる。

皇室の庭園から国民公園へ
 新宿御苑が皇室の庭園としての道を歩きはじめた当初は、東京の街路樹に利用するプラタナスやユリノキの挿し枝、種子の供給の役割なども継続していたが、大正6年からは観桜会(戦後は「桜を見る会」)、昭和4年からは観菊会の会場に定着したこともあり、桜と菊に関する内容及び体制の充実が図られた。

 また、大正年間には西洋庭園が9ホールのゴルフコースとしても利用され、新宿植物御苑時代の休憩所(旧御休所が模様替えされてクラブハウスもかねるようになった。昭和10年代になると戦争の影が御苑を覆い始め、昭和20年5月の空襲では旧御凉亭と御休所を残し、ほぼ全焼という大きな打撃を受けた。

 戦後、一時東京都立農業科学講習所高等科が設置されたこともあったが、昭和22年12月、新宿御苑は皇居外苑、京都御苑とともに国民公園として運営される旨が閣議決定し、昭和24年5月21日に「国民公園新宿御苑」として一般に開放され、昭和25年に厚生省の所管となった。
その後、昭和46年7月の環境庁の発足にともない、全国の国立公園などとともに所管を環境庁に移した。平成13年1月の省庁再編により環境省に所管を移し、平成18年に「新宿御苑」という名に冠してから100周年を迎え、現在にいたっている。
 http://www.env.go.jp/garden/shinjukugyoen/1_intro/history.html抜粋して転載

 春は総理大臣主催の桜を見る会、秋は環境省主催で菊を見る会が開かれる。
同展示会の特色ある展示物のひとつである菊花壇「大作り花壇」とは、1884年(明治17年)より作られており、1株の菊を数百輪集めて、半円形の形状に仕上げて咲かせた技法の名称。他に回遊式の日本庭園の景観・順路に沿ってさまざまなテーマに合わせて上家(うわや)の建物内に趣向を凝らした花壇が展示されている。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%BE%A1%E8%8B%91

 今回の撮影会はこの菊花展の開催中だったので、あちこちの小屋掛けにはさまざまな造りの菊花が展示されていた。「大作り花壇」には驚いた。根本は1本しかないのに半円で数百の小菊が碁盤の目のように整然を並んでいる。直径2メートル以上もある半円である。周りに半円に覆うような櫓でも組んで上から手を差し伸べて仕立てたものだろうか。

 日本人の精緻な植木職人の技に驚嘆する。このようになるまで江戸時代から数百年の歴史を重ねてきたものという。これは正に日本文化の精髄といえるものだ。また、十個前後の鉢が並ぶ懸崖菊も見事だ。これは周りから手の入る大きさである。色とりどりの鮮やかな菊が並んでいる。

 今日は木曜日平日である。園内には観光で立ち寄ったような東南アジア系の家族連れや西欧の若い二人連れが散策している。ここは池に築山、芝生に木立を配した広大な日本庭園である。すべて円か直角で縁どられた庭園と違い、自然の植生を生かした風景が気持ちを和ませる。自然をすべて壊さず、自然によりそう日本人の生き方が庭園のつくりが表れている。歩いていると、程よい丘の眺めのところに四阿や茶室が配されている。

 芒、萩、野菊などがあちこちに散在し景色を彩る。まだ立ち木の紅葉にはすこし早いが、これをデジカメで撮影しようということになった。約10mほど離れて紅葉の全容をカメラでとらえる。Av絞り優先、ISO100、露出補正0、ホワイトバランスAWB、中央重点セット完了。一枚撮る。このままでは紅葉が映えない。露出補正を-1/3、-2/3にしてみたり、ホワイトバランスを曇りにしてみる。実写よりも紅葉が濃くなる。これがコンパクトデジカメの特長だと教わる。自然の美をさらに際立たせる技だ。

 フランス式整形庭園に立ち寄る。秋バラはちらほら咲いている。隣りはプラタナスの並木だ。ベンチには二人連れや家族連れが座っている。絵になる。小雨が降ってきた。傘を広げながら入場した元に千駄ヶ谷門に戻った。