この国の戦争犯罪に対するつぐないの仕方について、日独の大きな違い
 
2014年11月「ポーランドとバルト三国の旅」発表を聞いて

 10月4日、わたくしが所属する東京都市大学市民講座受講者研究会にて表記の発表があった。発表の内容がとても素晴らしかったので、その概略内容と感想を述べる。
 発表者  宮田芳光氏(研究会の仲間)
 主な内容 詳細は下記関係資料参照のこと

1) ポーランド アウシュヴィッツ報告 悲惨な現実をいくつか集めた動画を含め画像で報告する。お一人おひとりお考えがあると思いますが小生にもかなり辛い話となります。
2) バルト三国の歴史 昨今のウクライナ問題に類似する当時の強国の扱い
3) リトアニア 杉原千畝氏の「命のビザ」の経緯と昨今のニュース
4) ラトビア 「風よ吹け」合唱 及び「百万本のバラ」原曲について
5) エストニア 「歌とともに闘う革命」歌と踊りの祭典の熱気を感じます。強国の圧力に対する文化の力特にだれでも参加できる歌の力を感じます。「我が祖国我が愛」二万人を超える感動の大合唱

 アウシュビッツの報告 アウシュヴィッツ強制収容所とは
 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所である。

 アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。公式な分類ではないが、日本ではいわゆる「負の世界遺産」に分類されることがしばしばである[1]。一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開している。
(出所)アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 ウイキペディアフリー百科事典より転載

 報告者の疑問として
・ヒエラルキー(ピラミッド型階層組織)ここまで実行できるのか
・なぜ誰もこれを止められなかったのか
・これが実行されていたことをドイツ国民は知らないはずはなかった。しかし、     残念ながら大多数はナチスの暴走を見て見ぬふりをしていた。「これは無関心という加担ではなかったか」

 エストニア ラトヴィア 「歌とともに闘う革命」
 現在のバルト三国とは、旧ソ連から独立を果たしたバルト海東岸に並ぶ北から南に、エストニア、ラトビア、リトアニアをいう。1940年ソ連がバルト三国を占領、1941年-1944年ナチス・ドイツが侵攻して占領、これを再びソ連が奪い返して再占領。1989年の「ベルリンの壁崩壊」後、ようやく、1990年リトニア独立、翌1991年エストニア、ラトヴィアが独立を果たした。地理的にバルト三国は、ポーランドと同じく東にロシア、西にドイツという強国に挟まれ、戦乱の歴史に翻弄され続けてきた国々である。

 強国に対して武力では抗しきれなかった国民がとった手段が「集団で唄う歌」だった。その歴史は古い。「バルト三国の歴史」表によると1869年、タリン「エストニア人歌謡祭」開催とある。ソ連占領下でも、その間エストニア、ラトヴィアで「歌とともに戦う革命」の歌の祭典が脈々として続いた。祭典ではソ連の占領に抗して非公式の国歌ともいえる「わが祖国はわが愛」が歌われ、これが伝統となって今日まで続き、四、五年に一度開催されているという。

 現在のバルト三国の人口合計は約647万人。これまでのエストニア、ラトヴィアの歌の祭典では、5千万人や2万5千人の合唱者が20万人とも25万人ともいう聴衆が集い歌った。強国の占領により国土・国民が蹂躙されながらも民族の誇りを忘れずに、武器を持って戦う代わりに集団で歌うことによって闘ってきた。
 まさにこれはイギリスによって占領されていたインドをマハトマ・ガンディー(1869-1948)が国民とともに「非暴力、非服従」によって闘いインド独立を果たしたことに匹敵する。歌の力は偉大である。当時大集団の歌が、祭典を取り巻いていた占領軍の兵士の心にも届き、人間が人間を抑圧していることの愚かさを知らしめたことであろう。

 当時のナチス・ドイツや旧ソ連は、国民に上に国家をおく他民族抑圧専制国家だった。大国民か小国民かの基準は、国民の人口の数の多寡ではない。たとえ人口が少ない国民であっても、その大多数が民族の誇りを忘れず「非暴力、非服従」を貫く国民こそが大国民といえる。

 関係資料 受講者研究会2014.10.4発表レジメ(宮田氏掲載了解済)
ポーランド バルト三国の旅
バルト三国年表
https://www.youtube.com/watch?v=4ox72IFFxF4「歌とともに闘う革命」
https://www.youtube.com/watch?v=Isn2Trf5JNI・(百万本のバラ原曲日本語版)


 アウシュヴィッツ
 まず、その規模の大きさに驚かされる。収容所は一つではなかった。しかもその設置場所がドイツ本国ではなく隣国ポーランドに置かれた。戦前のユダヤ人の人口906.7万人に対して最大被害者数約590万人、アウシュヴィッツの被害者数約130万人(そのうちユダヤ人約110万人)一日に何百人がガス室に送り込まれ、大量虐殺された。
 絶滅処理場だった。ナチス・ドイツによる狂気のアーリヤ人至上主義が招いた劣等民族蔑視の究極の姿がここにある。報告ではその一部であり、悲惨なところはここでは見せられないとのことだった。

 ドイツの学校では、ナチス・ドイツが犯した戦争犯罪について授業でみっちりと教えられ、日本では遠足で京都や奈良の寺を見て廻る代わりに、アウシュビッツやその他の収容所を見てまわるという。

 そのようにして育ったドイツ人は、ユダヤ人殺害に関して「あの数は誇張だ。」という言い訳や自己弁護をせず「ユダヤ人殺害は(数に関係なく)戦争犯罪だ」という態度を取る。ドイツは負の遺産に正面から立ち向かい、世界に対して二度とこのような過ちを繰り返さないという決意を示してきた。今日ドイツが不名誉な歴史を挽回し、新生ドイツが世界からの信頼を取り戻すことにつながっている。

 わたくしの感想
 今日の日本ではどうだろうか。ドイツと同様に負の遺産を抱えている日本では、歴史を学ぶ姿勢に関して天と地ほどの開きがある。わたくしは戦後の民主教育が施行された最初の年の小学校に入学した。以来小中高を通じて現代社会について直近の太平洋戦争での日本軍が犯した戦争犯罪については教えられてこなかったように思う。最近の子供たちの中には「日本はアメリカと戦争したの」などという子供をいるという。

 他民族に対して犯してきた日本の戦争犯罪は永久に免罪されない。たとえ過去世代が犯した罪であっても現在世代、未来世代はこれを引き継がなければならない宿命にある。現在世代が未来世代に戦争犯罪を教えることが過去世代の罪を償うことにつながる。

 戦後の歴代日本政府はドイツと異なり、戦争犯罪に正面から向き合って深刻な反省をせず、その罪を認めずに今日に至っている。そのことが対外政策にも反映し、国内では文部省の教育方針にこれを盛り込まず、不徹底な教育をしてきた。その結果、現在戦争を知らない世代が多数を占める現政権が「戦後レジュームの総決算」など称し、そしてあたかも戦争犯罪がなかったかのように免罪しようとして悪あがきをしている。

 このことが世界の目から見ると異常に映り、日本に対して戦前の軍国主義に回帰するのではないかとのあらぬ疑念を抱かせ、世界からの信頼を失いつつある要因になっている。

 空気をよむこと
 ひとが集団生活を営む上で、ひとは周りの様子を窺う「場の空気を読む」という一面がある。これについて山本七平『「空気」の研究を読む」』文芸春秋1977版がある。

 山本は戦争体験者として軍隊にいて、周りや上官の命令に逆らえない空気があったことを交えてこの本を書いている。最近のいじめも周りが「見て見ぬふり」が嵩じて起きたものではないか。いじめの初期段階では苛めるひとは周りをみている。だれも何もいわない。次にもう少し手荒にする。まだ誰もなにもいわない。だんだんとエスカレートする。最後には悲劇が待っている。これは日本だけのことではなかった。ここに人間の普遍的な弱さがある。初期段階で周りが声を上げ、未然に悪い種を摘み取ることが必要である。

 現在、安倍政権が公然と行っている憲法違反、秘密保護法制定、集団的自衛権行使の容認などの暴走に対し、国民世論を結集して反論してゆかないと戦前のものが言えない時代に逆戻りしかねない。

 最近の朝日新聞に対する異常なバッシングについて
 最近本屋に立ち寄ると、右翼系雑誌が朝日新聞に対する異常なバッシング記事を載せているのが目につく。また電車に乗ると週刊誌の中吊り広告でさらにエスカレートした活字が躍る。この国はいったいどうなったのか。右派ジャーナリズムが進歩派ジャーナリズムを叩くことはこれまでもあったが、これほどの極端なことはなかった。

 二つの福島原発事故時の吉田調書と従軍慰安婦の吉田証言との一部誤認が同時に重なり、朝日新聞が謝罪した。この失点を捉えて同新聞を一斉に攻撃し、中には廃刊すべきだとする記事を載せているものまである。記事の一部が誤りだったことを認めて謝罪することは当然である。

 しかし、その記事のすべてが誤りだったわけではない。その一部を捉えてすべてが誤りだったかのように、嵩にかかって政府首脳が一緒になってバッッシングすることなどは常軌を逸している。国民の利益を守るために国家権力の暴走を未然に抑え、権力と一定距離をおいて監視することこそがジャーナリズムの使命ではなかったか。


 「知識人の転向はジャーナリズム、新聞記者の転向からはじまる」といったのは故・政治学者丸山真男だったが、この国のメディアとジャーナリズムはすでに「総転向状態」というべき位相に入り込んでしまったのかもしれない。そして同じメディアとジャーナリズムの現場に立つ我々は、いかにして現状に抗い続けるのか。
(出所)朝日バッシングの背景と本質 青木理 雑誌「世界」2014.11