2013年12月塩山のころ柿

11月18日(月)午前8時過ぎ快晴、久しぶりにデジカメ撮影会の面々総勢12人がJR高尾駅に集合。本日は塩山柿の里での撮影会である。高尾駅から小淵沢方面行き各駅停車に乗り、約1時間余り午前9時半過ぎ塩山駅に到着。今日の予定は放光寺から恵林寺地域の柿の里を歩きながらの撮影である。今日の散策に一番奥に放光寺が位置するため、真っ先に3台のタクシーに分乗してそこに向かう。

放光寺は寿永3年1184年に創建された真言宗の古刹である。花の寺として、春は梅、桜、連翹、牡丹、秋には萩、金木犀が咲き、四季折々に楽しめるという。この時期は、やはり紅葉が見ものだ。青空に映え寺て建物と紅葉の取り合わせが美しい。

寺の裏手に回ると、四つ角に水車が勢いよく回っている。この奥には金峰山、国師ケ岳、甲武信ケ岳という2500mを超える奥秩父の連山が連なり、西方には西沢渓谷からは笛吹川が流れている。このあたりの農家では高地を利用して果樹栽培がおこなわれている。農地には用水がめぐらされ水量が多い。農道は幅広くとられゴミ一つ落ちていない。近くの山々、葡萄棚や柿の木、農家の柿すだれを見ながら三々五々散策する。

後から荷台に柿の箱を積んだ小型車が近づいてきて、女の人がわれわれに声をかけてきた。これから柿を処分するので、もしよかったらただで上げますという。百目柿(100匁=375gの重さが由来)という大振りに渋柿が5・6個の荷箱にぎっしり詰まっている。これを無料でくれるという。(帰りによった恵林寺前の土産店では1個100円で売っていた)これには驚いた。

みんなは夢中になってビニール袋に詰める。いくらなんでも只という訳にはいかない。そこで、ほんの気持ちとして1000円を差し出したが、捨てるものだから受け取らない、そこを無理やり仲間がもっていた菓子箱を一緒にエプロンにねじ込み受け取ってもらった。なんというひとだろう。このあたりの人の温かい人情には感激した。

以前に読んだ宮澤賢治の人からの見返りや感謝を期待しない無償の行為というものを、ふと思い出した。宮澤賢治は浄土真宗から法華教信者になった宗教者であったが、ここ塩山柿の里でも向嶽寺、恵林寺、放光寺の格式高い古刹が点在する。そうゆう環境から、この里人には自然とこのような善意がうまれてきたものだろうか。

広い農道を歩いていると、葡萄棚には取り忘れの葡萄房がところどころに見える。近づきその葡萄の粒をつまんで食べてみる。これが完熟していて甘い。絶品である。これは店には売っていない現地での味だ。以前に何度もここに撮影にきたというデジカメの指導者は、ここの農家の方々は声をかければ気軽に葡萄でも柿でも持ってゆけという。それが一個や二個ではなく一箱だったのには驚いたといっていた。

歩きながら農家の庭先に入り込み、ひと声かけながら撮影をする。以前にはもって活気があって各戸では競うように家のまわりに柿すだれを巡らしていたという。それが今回歩いていると以前にやっていた農家が全く止めていて、人の気配がしないところもある。また、柿すだれの数が減っている。

また、塩山藤木から眼下の笛吹川を望むと流域には柿林がみえる。これが収穫されていない。吊し柿の生産は今が盛りの筈である。大体収穫して吊るして製品にするまでは一か月半以上の手間がかかるという。今収穫していないということは生産を放棄しているのだろうか。どこを歩いても若い人はほとんど見かけない。どこでもなぜか重労働となる干し柿つくりは若い人が敬遠してお年寄りだけになっているようだ。

水が豊富で見晴らしも良い。交通の便もそれほど悪くない。春には桃の花が咲き桃源郷となる。さて、この地域でも限界集落になってきているのだろうか。誠に惜しい。全国には引き籠りの若者が約70万人もいるとテレビが報じていた。そんな人たちに仕事を与えて生きがいを感じさせるような手立てはないものだろうか。

しばらく歩く。どの農家の構えも立派で裕福なように見える。龍光院近くになまこ塀を巡らし郵便局を併設した大きな屋敷があった。明治政府の前島密が郵便事業を始める際に、全国村々の名主(庄屋)に郵便取扱(特定郵便局)を委託した。この屋敷の一隅が現役の立派な郵便局になっている。明治新政府の政治家前島密は旧幕府時代の名主に郵便事業が公務であることを説き、わずかな給付(士分の給付が米だったことに準じで一日玄米五合)して旧幕時代の礼遇をして名主の名誉心と公共心をくすぐったという。

屋根付塀に 影おとしゐる 柿すだれ 幹治
柿回し 五・六度けずり 柿をむく 幹治
富士山の 真正面に 柿すだれ 幹治