2012年6月 金環日食

2012年5月21日、今日は932年ぶりに日本列島の広範囲で金環日食が見られる。新聞・テレビやインターネットで1ケ前から予告報道がなされた。今まで日食とは無縁と思っていたが、その日が近づくにつれ日食観測の解説記事が多くなってきた。日食を直接見ると目の網膜を損傷するというので日食メガネが売られ始めた。わたくしの日食の記憶は約60年前、小学生時代にガラスの破片にロウソクの煤をあぶってつくったもので見た。義母もまた小学生時代に日食を見たという。

そのあたりの日食の年代 下記ウイキペディア百科辞典の記事を転載。
1936年1936年6月19日(当時義母13歳):皆既日食
 
北海道の北東部から知床半島にかけて観測
1948年1948年5月09日(当時私8歳):金環皆既日食 
 礼文島で観測

こどもごころにこれを覚えているのだから、相当強烈な印象があったのだろう。普通のひとは一生に一度みられるかどうかだから大騒ぎするのも無理はない。
さて、八王子の日食予報はどうなっているのだろうか。
国立天文台 暦計算室日食各地予報計算により、八王子を入力して得られたデータを次に転載する。

金環日食 2012年5月21日
指定地点 八王子 緯度:35.6500° 経度:139.7333°
方向角[°] 太陽[°] 視半径[″] かける割合 その他
時刻 北極 極頂 天頂 高度 方位 太陽 月 角距離 食分 面積比 備考
6:19:01 254 -58 312 19.8 78.8 948 888 1836 0.000 0.000 食の始め
6:20:00 254 -58 312 20.0 79.0 948 888 1810 0.014 0.002
6:40:00 254 -59 312 24.0 81.6 948 889 1300 0.283 0.170
7:00:00 253 -59 313 28.0 84.3 948 890 807 0.544 0.431
7:20:00 253 -60 313 32.1 87.0 948 891 333 0.794 0.723

7:31:58 252 -60 312 34.5 88.7 948 891 57 0.940 0.884 中心食の始め
7:34:28 163 -60 223 35.0 89.0 948 891 2 0.969 0.884 食の最大
7:36:59  75 -60 135 35.5 89.4 948 891 57 0.940 0.884 中心食の終り

7:40:00 74 -60 134 36.1 89.8 948 892 125 0.904 0.852
8:00:00 73 -60 133 40.2 92.8 948 892 565 0.673 0.579
8:20:00 73 -59 133 44.2 96.0 948 893 989 0.449 0.330
8:40:00 73 -59 132 48.3 99.5 948 894 1398 0.234 0.129
9:00:00 73 -57 130 52.2 103.4 948 894 1793 0.026 0.005
9:02:35 73 -57 130 52.7 103.9 948 895 1843 0.000 0.000 食の終り

前日からの天気予報では、当日関東は曇りだという。朝5時に起き、外をみると日が射して雲の切れ間がある。雲間から日食が見られるかもしれないので、2階のベランダに三脚を立てコンパクトカメラ(G10キャノン製)をセットし準備をする。6時、7時と時間が過ぎてゆく。気の性か少し薄暗くなってきた。太陽が雲間から出たり隠れたりしている。雲が遮光してくれるので光量が落ち、丁度具合が良い。カメラを太陽に向け、液晶モニタをみると少し欠けた太陽が写っている。7時30分を過ぎるとあたりが薄暗くなった。中心食に入ってきたようだ。前方の家並みを入れ連続でシャッターを切る。

次に木漏れ日撮影に挑戦してみる。これは木の葉を通った太陽光がピンホールの原理で下葉などの投影されるものだ。庭に下りてミツバツツジの下葉をみると欠けた太陽がくっきりと写っているではないか。木漏れ日が強くなったり弱くなったりしているので角度を変えて数枚の写真を撮る。

日食は世紀の天体ショウだ。今回は日本列島の約1/3が金環日食を通過していった。大勢の人が空を仰ぎ、なんらかの方法が日食を見たことだろう。同時に同時刻に同様の経験をすることは恐らく殆どないことだ。日常の生活に追われ自然に親しむことの人でも、太陽・月・地球が一直線に並ぶ現象を体感して宇宙の一端に触れることができた。

人間は大自然の中の一点に過ぎない。人間を自然(神)の上の置くという思い上がった西洋の思想は、今回の原発神話の破綻により完全に崩れさった。今後は、人間は自然の一員であり、未知のことに謙虚であるべきだという東洋の思想に切替えてゆかなければならない。

日が欠ける こもれびうつる 若葉かな 幹治