2011年5月この年の桜

2011.4.11東北地方太平洋沖地震マグネチュード9.0により発生した巨大津波は、青森県から千葉県の約600kmに及ぶ東日本太平洋沿岸を襲い、各地に甚大な被害をもたらした。

東京電力は9日、福島第一原子力発電所1~4号機の原子炉やタービン建屋などの主要設備があるエリアのほぼ全域が、4~5㍍の深さまで浸水していたことが分かったと発表した。津波の海面からの高さは最大14~15㍍だった。12日、この事故の度合いを国際電子力事故評価尺度(INES)で、チェルノブイリ原子力事故に次ぐ「レベル6」「大事故」から「レベル7」「深刻な事故」に引き上げた。

巨大地震発生後1ケ月を経過し、大震災の状況が次第に明らかになるにつれ、新聞各社が特集を組み、被災地の状況を大きく報道している。読売新聞は10日、11日と検証「東日本大震災」により大震災の被災状況を大きく報道している。

巨大地震・巨大津波発生直後の被災時や避難時に、十幾万の生き延びたひと達、またわが身を省みず周りを助けたひと達の話(中には亡くなった方も数多い)は全被災者の数だけある。これを後世に伝えることは現在世代の義務である。ここでは、その一端を次の巨大津波によって生き延びられた方々の証言を読売新聞より抜粋し転載する。

巨大津波が押し寄せるさまの15の証言 「津波 私は見た」
宮城県南三陸町
車や家屋をのみこみ、がれきの山にしか見えない約高さ20㍍の津波だった。中略、「」「バキバキ」「ザザッ」。水中でがれきや柱がぶつかる音が聞こえる。見えるのは車やガスボンベ、タイヤなどばかり、この方は3時間5㌔海を漂流。
及川淳之助さん(56)

宮城県女川町
沖では海面が一気に盛り上がり、陸に向かって突き進みはじめた。しばらくすると、遠くから地鳴りとともに、バキバキと木が折れる音、「プシュー」とガスが漏れるような不気味な音が聞こえ、焦げ茶色の波がみるみる町を覆った。
会社役員・今野智之さん(34)ら2人

水は胸元まで一気に上がり、みのりさんの手を握ったまま流された。
平塚義勝さん(66)・母みのりさん(93)

宮城県仙台市若林区荒浜地区
海岸線ではその直後、防風林の松林の真上に、水しぶきが上がった。屋上からは煙が上がっているように見えた。「ゴーッ」というごう音をあげて、壁のような泥色の津波が押し寄せてきた。左右を見渡す限り、一直線の泥水の壁だった。津波はそのまま学校に進み、小学校の2階まで押し寄せた。気付くと、周囲は海のようになっていた。
平山マチ子さん(54)2人

海沿いの防風林から「白い煙」が上がるのを見た。中略、背丈を超える黒い津波が10
㍍手前に迫っていた。
相沢義一さん(57)

宮城県石巻市鵜住居町
民家の屋根を優に越える波が水しぶきを上げながら近づいてきた。「6㍍は超えていた」。5分後、バキバキときしむ音がして浸水が始まった。「靴下がぬれた」と感じたその時、瞬きする間もなく、部屋は高さ3㍍の天井まで水に埋め尽くされた。
市川紀吉さん(41)

「バリバリバリバリ」午後3時半頃、道路の舗装を無理やり重機で剥がすような、すさまじい爆音があたりに響き渡った。それが何んの音だったのか、今でも判然としない。あっという間に支所の1階は水であふれた。吹き抜けを通って2階にも水が浸入し、事務室に海水がどっと流れ込んできた。
事務室奥の小部屋に避難したが、水位はぐんぐん上がり、腰の高さまでに達した。水を外に出そうと腰高窓を開けようとしたその瞬間、水圧に耐えきれなくなった部屋の窓や壁もろとも屋外へ吹っ飛ばされた。不気味な音を聞いてから5分たらずの間だった。
空中に放り出されたその時、視界の隅に机や柱にしがみつく同僚の姿が入った。
石巻市役所北上総合支所・牧野輝義さん(42)

岩手県陸前高田市
「仕事で防波堤を造っていたが無意味だった。チリ地震と規模が違いすぎた」。
「でっかい芋虫みたいな動きで、もこもこと迫ってきた」。波の色は真っ黒。
平美里さん(60)ら2人

岩手県宮古市
バリバリと電柱が倒れる音がし、高さ3㍍の波が押し寄せ、一気にのみ込まれた。
漁師・山崎義則さん(63)

岩手県大槌町
妻が突然「後ろに波が見える」と叫んだ。「うそだ」と思いつつ自宅に入ると、近所の人や面識のない人までが血相を変えて上の階へと駆け上がっていた。植田さんも4階に上がると、目線と同じ高さの波が見えた。約20人の住民らと一緒に屋上に避難。周囲は見渡す限り「海」だった。
開業医・植田俊郎さん(56)

岩手県山田町
高さ5㍍の防波堤を超える巨大な波が押し寄せ、船はひっくり返った。「波が上空から落ちてくるようだった」。海に投げ出された。
漁師・瀬川孝広さん(43)ら2人

JR陸中山田駅近くを通過した。線路脇から水がわき出でおり、海を見ると海水が防波堤を乗り越え、湾の方へあふれ出していた。
小野優子さん(39)

福島県相馬市新地町相馬共同火力発電(新地発電所)
海岸沿いを南北に走る県道の海側で、巨大な波が北上していた。家をのみ込むたび、白い白煙があがった。北側に目をやると、県道沿いを南下してくる波の高さは約10㍍。
建設業・五十嵐和宏さん(29)

視線を下に向けると、橋下の川を波が逆流している。ぎょっとして目線を上げた。海岸付近の防風林のはるか上を越えて大波が近づく。民家をまるごとのみ込み、視界を覆いつくす。
菅野一彦さん(30)


海底跳ね10㍍を超える波 巨大津波のメカニズム
巨大津波は、宮城県沖約130㌔を震源とするマグニチュード(M)9.0の地震が引き起こした。日本列島がのった陸側のプレートが跳ね上がり、大量の水が一気の持ち上げられたのだ。

陸のプレートと、その下にもぐりこむ太平洋プレートの境界が日本海溝だ。東日本大震災では、水深5800㍍の海溝付近で5㍍の地盤隆起が観測されるなど、深い海の底が特に大きく動いた。明治三陸地震の地盤隆起は推定2㍍。それに比べ、動いた水の量が多かったと考えられる。

普通の波は海面付近が動くだけだが、津波は海底まで動くため、威力が大きくなる。今回は深海から水の動きが周囲に伝わり、長さ数十㌔の大きな波となった。

急激な水位の上昇も被害を大きくした。岩手県釜石市の沖合20㌔にあるGPS波浪計の観測では、第1波は6分間で2㍍上昇した後に、4分間で4㍍以上も上がっている。勢いを保ったまま10㍍超の波となって上陸し、山の斜面を駆け上がった。

今回の印下にきは非常に広く、日本の太平洋沿岸は北海度から沖縄まで、津波に見舞われた。釜石市沖では津波が6時間で7回観測され、第1波が最大だったが、福島県や千葉県では第2は以降が最大になった場所もある。波は地形の影響を受け、反射したり屈折したりするためだ。

(2011年4月10日読売新聞)

東北4件の津波浸水面積、山手線内側の8倍
国土地理院は8日、東日本大震災の津波被害を受けた青森県から福島県までの4県の浸水面積の合計が、約507平方㌔キロに達すると発表した。

山手線内側の面積の約8倍に相当する。先月18日に、青森県南部から福島県北部までの浸水面積を401平方㌔と発表したが、より広い地域を航空写真と衛星写真で分析した。今後、茨城、千葉両県の浸水面積について、分析する予定。

(2011年4月8日読売新聞)

被災状況
死者   1万3013人
行方不明 1万4608人
避難者  15万1115人
(10日現在、警視庁まとめ)

死者   1万4616人
行方不明 1万1111人
避難者  12万7473人
(29日現在、警視庁まとめ)


三陸海岸大津波 吉村 昭 或る婦人の体験談の抜粋
明治29年(1896)地震マグネチュード8.5による津波、昭和8年(1933)地震マグネチュード8.4による津波、チリ地震昭和35年(1960)マグネチュード9.5による津波の被災地を取材し、各々の被災地の被災者からの聞き取り記録がある。

津波に追われながらふとふりむいた時、二階家の屋根の上にそそり立った波がのっと突き出ていたという話があった。深夜のことなので波は黒々としていたが、その頂は歯列をむき出したように水しぶきで白くみえたという。


南大沢の桜
例年より一週間遅れの4月10日前後が関東の花の見ごろになった。各地で予定されていた花見の行事などが自粛され、東京では静かな花見を迎えた。東北地方はこれからが花見シーズンになる。東北地方の米、野菜、魚などの農水産物を食べたり、観光地へ行楽や被災地にボランティアなどで大勢がゆくことが東北地方を元気づけることになる。自粛が行過ぎると経済活動が萎縮し景気が悪くなる。被災地の方々は、自粛されることを望んでいない。

2011年4月11日午前9時、南大沢駅にデジカメの仲間が集合。恒例のデジカメ撮影会を行う。駅前でたたずんでいると、大勢の色とりどりの服装の男女の学生が近くの大学に向かって登校してくるのに出会う。花の季節と若者の姿は絵になる。駅前を出発して桜並木、小山内裏公園にて昼食し、戦車道路を経て駅に戻る。

 2011.3.11東日本大震災1ケ月後
この年の 人出すくなき さくらかな 幹治