2010年2月中林 進先生の想い出
-ある技術開発啓蒙家との出会い-

今年に入って、2010年1月16日、中林 進先生(1923-2010)が亡くなられたことを知った。先生は企業出身の方ではあったが、一メーカーの立場を超えて長く電波業界の発展にご尽力されました。長い間、お疲れさまでした。こころよりご冥福をお祈りいたします。

先生は物腰こそやわらかだったが、ある一種の近寄りがたい雰囲気を持っておられた。わたくしに若い頃に片目を失くされたことを語ってくれたことがあって、のこされた目で遠くを見ながらとつとつの話をされたことが印象的だった。終戦後混乱期にある鉄工所ではたらいたことがあり、旋盤を使って作業していた時に火花が目に入り、網膜を損傷して片目を失しなわれた。その目に義眼を入れておられ、片目では仕事ができないため(その後の経緯は聞き漏らしたが)早稲田大学理工学部廣田友義教授の研究室に助手に採用され、研究室で学生の指導に当たられた。その後、教授の紹介で東洋通信機に入社されることになる。

わたくしには中林 進先生と約20年余の厚誼があった。数年前までは年に何度かお会いした時には、お元気で講演活動をされていた。お体は丈夫ではなかったようで、滋養に気をつけられ、晩年には健康のよいといってハワイに奥様と度々出かけられた。その時のお土産にサングラスをいただいたことがある。今年の1月、わたくしは白内障で両目の手術をした。術後、目が急に明るくなったので、そのサングラスをとりだして使ってみたりした。片目をふさいで一日を過ごした時に目の有り難さが良く分かった。


SNアンテナの開発他
1978年3月、東洋通信機が「携帯無線SN比を改善」したSNアンテナを開発したとの記事が電波タイムスに載り無線業界に衝撃が走る。効率の良い携帯用アンテナの開発は、長年無線業界の大きなテーマだった。その記事の後、SNアンテナについてもっと知りたいと思って東洋通信機に電話をした。SNアンテナの発明者は東洋通信機移動無線事業部中林進氏である。中林 進先生は事業部の技師長をしておられが、当時工場から離れて本社勤務だった。

本社でお会いし、SNアンテナの概略の説明を受けた。SNアンテナのS:signal信号、N:noise雑音の略でSN比が高くなると通信の質が向上する。SNは進・中林にかけてあるという。連絡通信のように音声帯域の狭い通信ではSN比が10倍の電圧比(20dBQs=信号電圧が雑音電圧を1/10に抑圧する値)以上あれば実用上の連絡通信が可能となる。高性能のアンテナが実現できるとそれだけ無線機の通信距離が伸びることになる。その後、しばらくして他のアンテナメーカから続々と類似のアンテナが発売された。

SNアンテナの周辺
この出会いが発端となり、その後折にふれお会いし技術開発の考え方についてご教示をうけることになる。今から約32年前のことである。中林先生は無線メーカーの技師長ではあったが、問い合せてくる人があれば他のメーカーの人であっても気軽に会うようなこころの広い持ち主だった。

SNアンテナが発表された頃、わたくしは、ある移動無線通信機メーカーに在籍し、無線機の設計製作に従事していた。無線局は官公庁需に始まって、あらゆる産業分野の民需の用途に使われている。当時、電波を発射して通信を行う全ての無線機器は電波法が定めた基準に合致しているかどうか電波監理局電波研究所が実施する型式検定試験に合格することが必要だった。この試験に合格すると無線通信メーカーは機器に検定合格マークを付けて製造販売を許される。

移動無線をユーザーに提供する無線業界では、無線機器を製造するメーカーとアンテナを専門に製作するメーカーとが分業体制をとっていた。メーカーが移動無線をユーザーに販売する際には、事前に型式検定済みの実験機とアンテナを使って電波実験を行い、通信エリアを確認することが一般に行われた。

用途に応じて無線システムを構築する場合、電波法で使用できる周波数帯をもとにアンテナと無線機器を含めた総合的な無線システム設計を行う。その場合、電波伝搬を含めた総合的なシステム的な考え方が必要になる。VHFまたはUHFの基地局用無線機からアンテナに送信電力を給電する場合、一般に1/2波長のアンテナの基部に給電する。使用する周波数に調整されたアンテナであれば反射波電力を少なくし進行波電力をそのまま空中線電力として電波を発射することができる。

陸上移動無線では150MHz帯(VHF)と450MHz(UHF)の周波数が使われる。前者の1波長が約2m、後者が約70cmになる。
基地局用無線機や車載局用無線機では、無線機とアンテナの間に通過型電力計を接続して進行波電力と反射電力を測定できる。正常なアンテナであれば反射電力がすくない。すなわち、電圧定在波比を1に近づけることができる。

アンテナを取り付けた携帯機を手でもって電波を発射すると、高周波電流はアンテナと筐体と手を介して人にも流れる。携帯機の場合、通過型電力計を使った電力測定は不可能であるため、無線機からどの位の効率で電波が発射されているかを計測することができない。
基地用または車載局用無線機では、VHFの方がUHFよりもアンテナ実効長が長くなるので、同じ送信電力であればVHFの方がUHFよりもアンテナ実効長の差の約10dB有利になる。

一方、携帯局用無線機はアンテナの長さが問題になる。150MHzは1/4波長でもアンテナの長さが約50cmになる。この長さのアンテナを携帯機に装着しようとしても長すぎて実用上使えない。そこで仕方なくアンテナ長を実用上問題ない位に短縮して使う。1/8波長に短縮した約25cm近いVHFのアンテナと、1/4波長約18cmのUHFのアンテナでは、どのくらい効率がちがうだろうか。今のところ、直接的に測定できる手段がない。

携帯用無線機のSNアンテナは、基地局用無線機のアンテナのように1/2波長のアンテナ基部に給電することを目標に開発されたものである。これまで無線機筐体に流れていた高周波電流を補足するような回路を組み込んで反射電力を減らすようにしたものである。アンテナ基部が1/2波長の高周波電流腹となるため、無線機を手でつかんで姿勢を変えて人の影響を減らすことができる。その結果、SNアンテナの方が従来の携帯用アンテナに比較して通信距離を大きく伸ばすことができるようになった。


SNアンテナという武器を手にされた先生は、これをもってユーザーの現場に行き、電波実験によって通信距離を確かめられた。移動通信の世界では、一般に見通しのある固定通信と異なり、殆どが建物や障害物に阻まれて見通しのない通信になる。移動通信は固定通信のように静特性の回線設計はできない。電波伝搬特性をつかむために、なるべく沢山の地点で向きをかえながら動特性の電波実験をおこなうことが必要だ。最終的に多数の地点で通信メリットの通話試験を行い、通信範囲を確認する方法をとる。

技術開発啓蒙の講演活動
後に頼まれて全国の電気通信監理局や消防庁・電力会社他に講演をされるようになった。手元に「移動通信におけるシステム的な考え方」のレジメが残っているので、以下要点を記載する。

・「きれい」ごとではない「どろくさい」ところから発想がうまれる。
・不可能を可能にすることはだれにもできない。しかし、可能なものを思い違いしていなものなら我々でも可能に戻すことができる。
・現在使っているものを調べて欠点を直す、対称(つりあい)・対象(目標)・対照(比)を探すことにより、また新な発想が生まれる。
・他で使っているものやシステムが応用できないか検討してみる。
・人間がつくったものに完全なものはない。
・使う人間まで入れたシステムを考えよ。それには人間の口と耳の性能を把握する必要がある。
・高い次元でものを考えよう。(常識と思っていることが実は低次元な発想かもしれない)
・強い願望と執念を持つこと。
・スタートは常に同時だ。
・スケールは自分でつくれ。

先生の口癖のひとつに「やってもみないで、できっこないとはないだろう」ということがあった。

「システム的な考え方」について引用された関連事項
東工大のアンテナ工学で数々の業績を上げられた後藤尚久教授は「アンテナのどこから電波が発射しているのか分からない」といわれたという。わかっているようで本当は分かっていない事例である。

寺野寿郎教授の「あいまい工学のすすめ」より

従来の工学の対象は機械やプラントなど、構造も、機能も、目的も比較的簡単なものばかりであるが、「あいまい工学」では人間や社会に関係した複雑な問題を扱う。
方法論も前者が分析的・論理的・定量的であるのに、後者は合成的・直感的・定性的である。さらに言えば、前者が一切のあいまいさを排除し、厳密さを尊ぶ西洋型思考であるのに対し、後者はムダ・矛盾・余裕・未知対象などを包括した大局的で夢を持った東洋型思考なのである。

この「あいまい工学」でいっている前者はデジテル思考、後者はアナログ思考と言い換えることができる。ある問題を解こうとする場合、最近ではコンピュータを使って計算することが一般的であるが、コンピュータがない時代、技術者は計算尺を使って概略計算を行い瞬時に答えを出した。このようにアナログ思考は大局をつかむのに有効な手段である。逆に、現在の技術者はコンピュータに頼り過ぎている。コンピュータは思考してくれない。単なる手段・道具である。
以上の考え方は、なにも無線通信に限ったことではない。すべての分野の技術開発、あるいは社会科学にも共通する考え方といえる。


ここで無線通信における一つの常識を挙げる。
人間は口と耳をもっており、自分の声を聴きながら相手と音声で会話する。無線通信ではこれをVHFやUHFの極超短波の搬送波に音声を載せて電波を発射して通信を行う。使用する電波が1波であれば対向する2台の無線機間で交互に電波を発射(プレストーク通信)して通信を行う。同時通話をする場合、周波数を2波(送信電波が受信機に回りこんで感度抑圧を起こすことを防ぐために送受信間の周波数間隔をある程度広くとり、且つ送信出力部と受信入力間の回り込みを防ぐための空中線共用器が必要になる)が必要となった。以上のことは、これまで無線技術の世界では常識として誰も不思議と思ってこなかった。

周波数資源と電波の有効利用への貢献
中林先生が無線業界に入られた時に、これは不都合だ。人間は相手と自由に会話できているものが、ひとつの周波数で同時通話の無線連絡ができないのは納得できないと考えられた。その後、自動車電話・携帯電話の時代が到来して電波の利用が飛躍的に高まった。同一地域で移動無線のユーザーが増えてくると、それぞれ個別に割り当てる周波数が足りなり、郵政省が無線局に割当てる周波数の数にも限界がおきてきた。

そこで、限られた周波数資源をいかに有効に使うかが大きな問題となってきた。その解決方法として考えられたのが、1ユーザーに1波の周波数の周波数を割当てるのではなく、多数のユーザーが一定の周波数をグループで共用するMCA方式である。それと平行して周波数資源を増やす方法としては周波数間隔を狭くすることである。当初の周波数間隔が50kHzから25kHz、さらに12.5kHz(400MHz帯)へと狭くすることによって周波数資源が2倍、4倍へと増えていった。また送受信周波数間隔を狭くできることは全体の周波数割当が有利となり周波数資源を増やすことにも貢献できる。

これを実現するには理論的な解析と実験が必要である。先生は、ひと頃電波監理局の要請により、郵政省電波監理審議会通信方式専門委員に委嘱され、数々の提案をされた。また、どこでも引き受けてのない仕事を引き受けて挑戦され、ユーザーと共同で、一工事に一つの特許を出願されたという。その他、数々の業績が認められ、郵政省から電波の日に表彰された。

また、周波数の多ch使用にともなって問題となるのは特にMCA中継装置の送信が受信に回りこむ感度抑圧の現象である。これを防ぐ対策として発案されたのが送受信周波数間隔を極限まで近づけても感度抑圧を起こさない装置としての超接近妨害波除去装置の開発である。この開発は、東洋通信機を定年退職された後に、先生の発想に賛同する協力会社・技術者を得て実現された。

これは長年あたためておられた1波で同時通話ができないかとの願望の一つの応用である。この技術はMCA(多ch)の感度抑圧対策に生かされ、副次的に多くの応用システムを実現されている。最終的には、もっと部品や周辺技術の進歩により、人と機械の間がもっと狭まって簡単に同時通話ができる夢の無線機の実現を目指しておられたのではないかと思う。

  追悼 中林 進先生            
のこりたる 目のかがやける 寒さかな 幹治


余禄 わたくしの技術開発の一体験
-作業用グループ通話無線機の開発までの経緯-
(空中線電力1mW以下の陸上移動業務の無線局(作業連絡用)の無線設備)

無線機の販売
型式検定によって無線機の性能が同じであれば、お客は安くて信用のおけるメーカーを選ぶ。一般の営業は価格で勝負する。それでは価格が同じであれば一般のお客は有名メーカーを選ぶ。有名メーカでなければ、価格の競争では勝てない。それではどうするか。他社よりも通信距離が伸びるとか総合的な無線システムの質で勝負しなければ勝てない。SNアンテナを開発したのもその理由の一つだといわれた。大量生産による価格競争ではなく、技術力による質での競争ということは、今日の前者の新興国と後者の日本のような先進国と国際競争にも当てはまることだ。

技術者は現場に行け。現場には考えるヒントが転がっている。電波の伝わり方は目に見える。当時の先生は、無線機を売るには工場にいても売ることはできない。営業と一緒になってお客のところへ行き、お客が一番困っていることを聞き出し、それを解決することによって無線機が売れるようになると常々いわれた。

業務用無線はプレストーク方式が常識
同時通話の携帯電話が普及する以前、無線連絡の手段はプレストーク通話方式(1波を相手と交互に電波を発射する)の業務用無線機が一般的だった。この無線機を現場で使う場合、仕事の手を止めて「もしもし、どうぞ」で相手と連絡を取り合う。造船・自動車・電機・運送・化学・建設などの現場に入ると多くのクレーンが使われる。クレーン作業は、クレーン運転者と複数の玉掛け作業者が一体となって声を掛け合ってグループで連絡を取り合うことが作業の安全と作業効率上絶対条件となる。この作業連絡は1対1のプレストーク通話では作業はできない。

SNアンテナが登場した頃、これをなんとかグループの作業者が両手で作業しながら(ハンドフリー)グループで同時通話できる無線機ができないか、とのユーザーの相談が、わたくしの会社の地方営業所から工場の技術に持ち込まれた。その頃、作業用に同時通話が出来る無線局は電波法上に規定もなく業務用無線機が存在しなかった。

無線業界の常識を破るグループで同時通話ができる無線機が実現できないか
電波法第4条に免許を要する無線局の規定がある。一般に無線局を開設する場合、郵政省に無線局開設申請を行い、その上で無線局の免許を取得して無線局を開設して電波を使用する。電波法第4条のただし書きに免許を要しない無線局の規定があり、さらに同法第4条第1号施行規則第6条第1号に発射する電波が著しく微弱な無線局の規定がある。

電子レンジや各種の電気機械を動作させると筐体からわずか微弱電波が不要輻射される。この電波が強いと無線通信に妨害を与えることがある。そこで、それら機器から不要輻射される著しく微弱な電波の規定によって各社から1波同送多波受信方式の微弱な無線局の作業用連絡無線機が製品開発され、様々な業界の現場で使用されるようになった。

1波同送多波受信方式とは
中継器の送信周波数1波(f0)、受信周波数多波(f1~fn)
対向する携帯機の送信周波数は各々(f1~fn)、受信周波数(f0)
中継器は(f0)、携帯機は各々(f1~fn)の電波を発射しても使用する電波が微弱電波であるため、各無線機の空中線電力が受信部へ回り込んでも感度抑圧を起こさない。

この方式に使われる空中線電力は微弱電力であるため、空中線共用器は小型な分配器可能となるため携帯用無線機の形状を小さくすることができる。
これに使用する携帯用無線機はヘルメットにマイク(高騒音対策用もある)とイヤホン(またはヘッドホン)を装着し、両手で作業しながらハンドフリーでグループ通話ができることが特徴である。このシステムの出現により、各作業現場からは安全で効率のよい作業ができるとの好評を得て、次々に鉄鋼・造船・自動車・電機・鉄道・石油化学プラントなどの基幹産業界の作業現場に浸透していった。

これが各種産業界に浸透してくると、産業界の後押しを得て、電波法設備規則内で合法的にグループ使用ができる周波数を認可できないかとの声が無線業界から持ち上がった。

日本電子機械工業会は小電界業務委員会作業部会を発足させ、従来の微弱電波を利用した作業用連絡無線システムを発展させたシステムの素案をメーカー間で検討し、郵政省電気通信監理局と度々折衝した結果、電波法施行規則と設備規則を改正し、免許を要する無線局として「空中線電力1mW以下の陸上移動業務の無線局(作業連絡用)の無線設備」として周波数が割り当てられるようになった。

空中線電力1mW以下の陸上移動業務の無線局(作業連絡用)の無線設備 RCR STD-31
http://www.arib.or.jp/english/html/overview/doc/1-STD-31v3_1.pdf

その際に、広い敷地をカバーできるようにアンテナ分散方式の回線補償器も合わせて認可となった。今日、あらゆる高所クレーン作業や広い工場現場でこの特殊な作業用無線機が活躍し、作業の安全と作業効率の向上に役立っている。この従来の無線業界の常識を破った本無線システムは、切実なユーザーからの要望に答えた技術者のアイデアと、それぞれ各社が知恵を出し合って切磋琢磨し、最終的に郵政省をも動かし電波法諸規則の一部を改正してできた結果生まれたものである。