2010年9月山車まつり

8月8日八王子まつり最終日。山車まつりの様子を撮影したいと思って家を出て、午後7時前に八王子横山町3丁目の交差点「札の辻」に着く。あたりはようやく薄暗くなってきた。ここで午後7時半から下地区・上地区合同19町会の山車年番送りが行われるのである。だんだんに人々が集まってきた。浴衣のわかい男女、中高年のご夫婦、さまざまの人々が山車まつりのハイライトを見ようとやってきた。

例年の山車年番送りは八幡神社宮神輿を要に10台の山車が集結し、公衆の注視のもとで一年かけて準備し山車まつりを仕切ってきた本年度担当町会が、次年度担当町会へ担当引き渡しを公に宣言するものである。今年は八王子のまつりは1961年から数えて50回目。記念行事として、今年初めて上地区と下地区が合同で山車19台が広い道幅の甲州街道の「札の辻」に向かって一斉に並ぶ。

下地区には東の鎮守とされる八幡八雲神社あり、大横町。南新町、上八日町、本町、南町、八日町一・二丁目、三崎町、横山町三丁目、中町、元横山町の山車10台を擁している。また、上地区には西に鎮守とされる多賀神社があり、八幡一・二丁目、追分町、八木町、八幡上町、千人町一丁目、日吉町、元本郷町、平岡町、小門町の山車9台をもっている。昔は下地区と上地区は別々の日にまつりが行われていた。

「札の辻」とは八王子随一の交差点で、国道16号が甲州街道国道20号線に入って「八日辻」まで両線が合流し、「八日辻」で国道16線に抜けるこの間が両線並存するので車が混みやすい。

「い~ち、に~のやぁ~い」幼児から小学生までを含めたこども達の掛け声も勇ましく続々と山車が「札の辻」に集まってくる。この「札の辻」と「八日辻」間に山車が数多く行き来し、人々もここを目当てに多く集まってくる。いよいよ19台の山車が「札の辻」に向かって並ぶ。

午後7時半から定刻通り、本年度担当町会の司会で山車年番送りのあいさつが始まった。関係者が特設お立ち台に立ってつぎつぎあいさつをする。あいさつが終わるとしぶい声の木気遣りが歌われる。その後、すべての山車が一斉にお囃子を鳴らす競演だ。最後に年番送りが無事終わったことをで手締めとなる。司会者は口上があり「これから八王子一本締め」を行うと宣言する。「八王子一本締め」とはいわゆる江戸締めの流れである。関東各地から人が集まるような場所では「関東一本締め」といわれることもある。
司会者の発声で数千の大会衆が、この瞬間のこころを一つにして手締めを行う。

「イヨーーー パンパンパン パンパンパン パンパンパン パン」
手拍子は三三三一と打たれる。三三が九に一で丸くおさまるという意味もこめられているという。手締めは日本文化の華である。農耕民族である日本人は米をつくるときには各戸総出で水利工事(用水管理)を行ってきた。田んぼに山から水を引く米づくりには水の管理が欠かせない。各戸から人足をだして、みんなで協力して水利工事を行うのである。工事が終わると手締めを行ない、一連の仕事が無事すんだことを「米の神」に報告しみんなで感謝するのである。いまでは、水利工事は役所の仕事になり、みんなが協力して工事を行うことはなくなった。それでもこのような会衆が大勢集まる場所では脈々と受け継がれているのである。

八王子市は現在約57.8万人の人口をもち三多摩随一の都市である。八王子は江戸時代甲州口の治安と警備にあたった千人同心が配置された天領だった。また、甲州街道沿いの甲州に通じる宿場町として地域の交通の要所でもあった。明治以降は群馬・秩父・山梨・長野からの生糸の荷が集まる中継地として織物産業が栄えた。当時の財力をもった町衆が競い合って多くの豪華な山車をつくり盛大に祭礼を行ったものだろう。現在の山車の大辻合わせと見ていると、当時の華麗な繁栄をしのばせるものがある。

大会衆の手拍子で最高潮に盛り上がった手締めが終わり、紙テープが放たれて今年の年番送りも無事に終わった。各山車はそれぞれの方向に向かって動きだした。これからまたあちこちで山車同士の「辻合せ」や「ぶっつけ」が行われることだろう。

注:「ぶっつけ」とは山車がすれ違う時、山車を寄せ獅子を競い合うこと。相手の獅子がつり込まれた方が負けとなる。山車は2台に限らす3台、4台がぶつかりあうことがある

山車屋根に 突ったちかざす 手提灯 幹治