2010年8月夏景色

7月5日(月)午前9時、陣馬街道筋「夕焼けの里」入口にデジカメ撮影会の面々が集合。朝の出掛けに通り雨にあったが現地に着く頃には止んでいた。予報では一日曇りとなっていたので、今日一日はなんとかもつようだ。ここは市街地から遠く離れ山中の谷間である。ここに陣馬山を水源とした北浅川が谷の底を流れている。陣馬山に連なる北高尾山稜は暗いスギ・ヒノキの人工林に加え、常緑広葉樹や落葉広葉樹の自然林が広がっている。梅雨時期の山は雨に洗われ、ますます暗緑色をおびてきた。

今日は平日、開場の時間になっても客はほとんど来ない。園内に入ると、昔懐かしいボンネットバスが丸太造りの車庫にとまっている。わたくしの幼い頃の戦後の記憶では、町中を木炭燃料のボンネットバスが走っていた。ここのバスは休祝日に走るようだ。そばには子ども達がよろこびそうなシーソーなどがおかれている。その向かいにかまぼこ屋根の牧舎が建つふれあい牧場があり、ロバの親子が飼われて、世話をしている牧人が飼葉桶をもって牧舎を出入りしている。休日になるとこども達がロバに餌をやったり、その背に乗せたりすることができるという。

園内の奥にむかって歩を進める。芝生広場のわきに小さな池がある。池端には里芋皮むき水車がおかれ、樋の水を受け勢いよく回っている。休日には大勢の家族連れがきて大芝生で遊んだり弁当を広げたりすることだろう。田んぼの稲は今が伸び盛り。鳥が鳴き、虫が飛び交う。人影はほとんど見えないが、ここには自然の生命の饗宴がある。

そこを過ぎると小広場があり大きな輪の荷車が置かれている。わたくしの小さいころには薪や炭を荷車が立派な運搬手段だった。余談になるが、日本人は荷車を引いて動かすが、西洋では押して動かすという。また日本の刀は引いて切る。柔道にも引き技がある。西洋のフエンシングは突く。ボクシングは正につき技が基本だ。日本を代表とする農耕民族は守りを専らとし、狩猟民族は攻撃を性とする。これは人類が永年にわたって培ってきた「いのち」のDNAが生んだ生活文化かもしれない。

園の外周路に出て、山に沿って流れる北浅川を下りる。このあたりになると川は、谷底を流れる渓流の様相を示してくる。途中、一人の釣り人に出会う。今に時期にはヤマメやイワナでも釣れるのだろうか。下まで降りると、川には一人がやっと通れるような狭い巾の板が渡されている。そこから川上を見上げると、両岸の樹が川を覆いやや薄暗い。川瀬は緑に染まり、水音が心地よい。川岸には菅草がたっぷりと生え水辺を彩っている。水と樹木が織り成す渓流の風情は何処を切り取っても一幅の絵になる。

川から上がって遊歩道にでる。山際にはツルニンジンの咲き終わりが一面に広がっている。道端に一むらのヤマトラノオが白い尾をなびかせている。満開のネムノキが道につきでて道を覆っている。枝を手元引き寄せ花を観察する。この花はうす桃色の細い糸を放射線状に広げた可憐なさまをしている。ネムは夕方に葉を閉じ、花が開くというが今は花は開いている。ネムの由来は葉が睡眠運動により閉じることからきているという。

谷底の 川瀬にうつる 夏景色 幹治







前田真三写真ギャラリー

園内には八王子が生んだ世界的な風景写真家前田真三(1922-1998)の常設展示館がある。今回の展示は鎌田實+前田真三・前田晃「あなたとぼくと、一本の木の物語」。指導者の案内で写真を鑑賞する。いずれも四季折々の北海道美瑛町の広大な耕地がテーマだ。

北海道は多湿な内地と違い高燥な気候である。空気が澄んでいるので、朝夕の光線が地表の作物などを鮮烈な原色を浮き上がらせる。真三はここに足繁くかよい、風景写真の新境地を開いた。代表作『麦秋鮮烈』『夕焼けの塔』『朝霧の丘』など

三人展の共同出展者鎌田實(1948-)は、現在読売新聞「時代の証言者」で掲載中、「がんばらない」他の著作でも知られている現役医師・作家である。氏は学生時代全共闘の闘士だった。みずからの生い立ちなどから、卒業後他の人への奉仕をしたい志し長野県諏訪中央病院の奉職した。その地で永年地域医療に献身されている。この方が詩を作っているとは知らなかった。

この詩は氏の2冊の著書『へこたれない』『よくばらない』(ともにPHP研究所)から厳選した散文詩である。
作品展では写真の下に詩が掲げられ、両者が不思議な調和を醸しだしている。
「あなたとぼくと、一本の木の物語」


http://okadakoike.blog.ocn.ne.jp/nikki/files/anatatobokuto.pdfより転載