2009年9月トンボ

大勢のこども達が池の周りを囲んでいる。みんな一心に池の面をながめている。幼い妹を連れて白い大きなたも(捕虫網)を持った少年が池の面を行き来するトンボを追っている。トンボは池の端の杭が出ているるところにときどき止まる。すかさず少年はたもを横なぐりに振る。残念、トンボを逃がしてしまった。しばらくしてトンボはまた元の杭の上にとまる。今度は逃がさないぞと少年はたもをふる。妹が歓声を上げる。ようやくたもにトンボを捕まえた。

こうゆう光景に出会ったのは久しぶりだ。こども達が自然の中で無心に遊んでいる姿は心地よい。こどもは遊びの天才だ。棒切れ一つでも遊びにしてしまう。まして、虫のように動くものには特に興味しんしんだ。トンボは空を自由に飛んでいるのでなおさらだ。こどもと大人は視点が違う。こどもは下から上を見上げるのに対して、大人は上から見下ろす。こどもの視点は大人よりもひろい。こどもにとって、目に飛び込むものは全てが目新しく毎日が発見なことだろう。

わたくし達が近づいてデジカメを構えていても、こども達は全く眼中にない。次々にこども達が池に現れ、池面を覗き込んでは去ってゆく。たもを持った兄妹はいつまでも残ってトンボ捕りに余念がない。おや達は現れない。ここは子供の天国のような場所だ。施設の奥の林に接した場所は広い空き地になっており、中学生位の少年達がしきりに動いている。しばらくすると青いシートがはためいて広げられ、テントが張れてゆく。この施設ではキャンプもできるようだ。

ここは高尾の森「わくわくビレッジ」である。今日は家族連れや、青少年の団体が大勢入っているのであちこちから歓声が聞こえてくる。夏休みも終わりに近づき、最後の夏を楽しみにやってきているのだろうか。八王子には陣馬街道の奥に「夕焼けの里」があり、ここと同じような施設がある。車で遠くに行くものよいが、近くにも設備が整った施設があるので、都心から近い高尾山と合わせてもっと利用されてよいものだ。

もどりきて つばさよこたふ とんぼかな 幹治

この光景から唱歌「故郷」を思い出した。その歌詞に「兎追ひしかの山」とある。「トンボ」も少年の頃よく追いかけたものだった。この曲は卒業式の定番としてよく歌われ、今でも同窓会で歌われる日本人には懐かしい唱歌である。

「故郷」は1914年に第一次世界大戦が勃発した年に作詞作曲され、大正12年(1923)関東大震災、高野辰之作詞・岡野貞一作曲は大正3年(1914)、昭和8年(1933)新訂尋常小学校唱歌第六年生用として登場。
http://www.d-score.com/cover.html:資料引用

故郷

1 兎追ひしかの山、
  小鮒釣りしかの川、
   は今もめぐりて、
  忘れがたき故郷。

2 如何にいます、父母、
  恙なしや、友がき、
  雨に風につけても、
  思ひいづる故郷。
 
3 こころざしをはたして、
  いつの日にか歸らん、
  山はあをき故郷、
  水は清き故郷


わたくしのこどもの頃を振り返ってみると、隣近所の同年代のなかま達と夕方暗くなるまで遊び呆けていた。石蹴り・こま回し・縄跳び・玉投げ・泳ぎなど、上のお兄ちゃん達に入りながら自然に覚えていった。その頃は町内毎に7歳から12歳位までのこども連があった。こども連で町中の八幡宮に行きよく遊んだ。そこには社殿を高い石垣でめぐらしてあった。。時おり帰省した時に立ち寄ってみると、こどもの頃にそびえてみえた石垣が、せいぜい大人の身長の倍位のものだったことに、あらめで驚いたことがある。

雑貨屋を営んでいたわたくしの家は裏道の角地に建っていて、隣りが豆腐屋、西向かいが肉屋、その隣りが八百屋、角向かいが魚屋、南向かいが農協だった。食料品などは家の回りで全て用が足りた。南側の小路を100mほど下ると1級河川の小矢部川があった。そこがわたくし達の水遊びや魚取りの遊び場だった。川には蛇籠を横たえた堰堤があり、しもが淵となって水深が深く手ごろな泳ぎ場だった。当時は勿論プールなどなかった。兄達と一緒にその淵にゆき、そこに投げ込まれ水を飲みながら自然と泳ぎを覚えたものだった。その頃少し上流が洪水で土手が決壊したことがあった。思い出すと川の道端に水天宮があった。その昔も洪水で土手が決壊したことでもあったのだろうか。