2005年4月 続さくら

瞬場内が静かになった。しばらく間があって、「何をいったらいいの」棒立ちの人に介添えの人が何か囁く。「かんぱーい」童女のような声で叫んだ。会場には、ほっとした空気が流れ、やがて大拍手となった。ここは、八王子にある老人ホームの観桜会の会場である。もうじきに98歳になる最高年齢の入居者のおばあさんが、係員から促されて乾杯の音頭をするためにマイクの前に立った時のことだった。

空は晴れ。会場になった中庭の四・五本の桜の木は満開である。桜の花びらが散り始め、客席にも降りかかる。桜吹雪だ。会場を囲んだ紅白の幔幕が、突風に煽られて裏返しになる。施設は二階建てと三階建ての建物で構成され、建物の間が中庭で、普段は体操もできる広場になっている。正面のステージには「観桜会」と大書した紙が貼られ、客席がそれを取り囲んでいる。

ホームに隣接する町内会のご婦人方やボランティアの法被を着た男女の若者が、客席を回って弁当の配布をしている。焼きそばやおでんの屋台なども出ている。出演者の他に各方面から招待客が沢山来ているようだ。子供連れも来ている。約300名の椅子は入居者と招待客で全て埋まっている。

プログラムが進行してゆく。最初はホームの民踊クラブの踊りから始まった。五・六人の踊り手の中に、先ほどの乾杯の発声をしたおばあさんも混じっている。手足のしぐさもしっかりとしているようだ。見ていると、他の余興にも次々出演していた。入居者の皆さんも、今の一場を心から楽しんでいるようである。

このホームは、65歳以上の方で、身体上もしくは精神上、環境上、経済上の理由により、居宅における日常生活が困難な方をお預かりする施設とのことである。入居者は約200名とのこと。ここは人の出入りが自由なようだ。樹木や草花に囲まれ環境は良い。近くの色艶の良い柔和な表情のお婆さんを見ていると、一昨年このようなホームで92歳で亡くなった母が思い出された。

それぞれの入居者の家族は訪ねてきているのだろうか。身寄りのない人もいるだろう。戦中戦後の物資の乏しい中を、自らを犠牲にして遮二無二働き、沢山の子供を育て上げた世代がここにいる。六十代後半以降の年配になると、普通の人は社会や家族から責任と伴うようなしがらみから解き放たれる。そして老いと付き合いながら、終末をここで迎えることになる。それまでには、当然個人差もあると思うが、屈託なく童心に帰ってゆく人は一番幸せだ。唄に合わせて手拍子がでた、掛け声も挙がる。「きよしのズンドコ節」で会場全体が一体となった。

とんでくる 花びら一つ 椀の中 幹治